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10/5「キリストの空しさによる救い」ピリピ2章6~8節

2025年 10/5 第一主日
聖餐礼拝 

ー西本耕一牧師ー

 

 

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礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】
ピリピ人への手紙  2章6~8節
6:
キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、

7:
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。
人としての姿をもって現れ、

8:
自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

 

メッセージ概要

 

 キリスト教の救いは、死に対する解決です。私たちには死に対する恐れ、恐怖心があると思います。しかしキリストは十字架によって私たちの罪を赦し、滅びから救われます。さらにパウロは私たちに、心の空しさから救われる秘訣を語ります。

 

1,神の御姿

 キリストは神ご自身です。ところが神であることを固執されず、人となって私たちの所に来て下さいました。パウロは牢屋の中で「喜び」の手紙を書いています。それは、彼の心が喜びで満ち溢れていたからです。彼自身も「キリストにあって」励まされ、キリストの愛と慰めが心に豊に与えられていたからです。

 

2,しもべ となられたキリスト

 イエス様ご自身は「仕えられるために来たのでなく、仕えるために来た」と言われ最後の晩餐の席でも弟子たちの足を洗われました。

 そして、彼らを最後まで愛し通されました。「へりくだって人を自分よりすぐれた者と思いなさい」と2節にありますが、キリストの謙虚さによって、私たちは救われたのです。

 

3,十字架の死にまで従う

 キリストの謙遜は、自分を空しくし、しもべの姿を取り、十字架の死にまで従われたとあります。その十字架の上でも「父よ、彼らをおゆるし下さい」と祈られました。

 パウロは「私はキリストと共に十字架に付けられた、もはや私が生きているのではない。キリストが生きておられる」と、この信仰を持ってキリストに従って行ったのです。古い自分の自我を十字架につけ、助け主御聖霊の励ましと力を与えていただき、主に従いましょう。

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