2025年 10/19 第三主日
主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
哀歌 3章19~24節 - 19:
私の苦しみとさすらいの思い出は、苦よもぎと苦味だけ。
20:
私のたましいは、ただこれを思い出しては沈む。
21:
私はこれを心に思い返す。それゆえ、私は言う。「私は待ち望む。
22:
主の恵みを。」実に、私たちは滅び失せなかった。主のあわれみが尽きないからだ。
23:
それは朝ごとに新しい。「あなたの真実は偉大です。
24:
主こそ、私への割り当てです」と私のたましいは言う。それゆえ、私は主を待ち望む。
メッセージ概要
私たちは悲しみの中にあっても希望を見いだせます。神様は愛される方であり滅びから救って下さる方だからです。
1,苦しみの思い出
19節の「苦よもぎ」は苦しみを意味します。バビロンによって破壊され、イスラエルの栄光は失われました。イスラエルに原因がありました。偶像を拝むようになり、神を愛し人を愛することを怠り、この世の繁栄を求めていったのです。神様はバビロンがイスラエルを攻めることを許され、立ち返ってくることを待ち望まれました。
2,主の恵みを待ち望む
神様は私たちを放っておかれる方ではありません。「私たちは滅びなかった」ということばにも表されています。私たちは苦難を味わうことはあっても神様の愛は変わることはありません。「主のあわれみはつきない」のです。その神様の愛とあわれみを私たちは信じて待ち望むべきです。
3,主の恵みは新しい
神様の恵みは「朝ごとに新しい」と約束されています。荒野を旅する中に神様は天からマナという食べ物を与えられました。そして私たちには、「わたしはいのちのパンである」と言われるキリストがおられます。私たちはキリストのことばによって励まされ養われいのちが与えられます。
私たちが受け継ぐべきは神様ご自身です。この真実は偉大です。大いなる特権です。やがて御国の門をくぐり天国に喜んで迎え入れられる大きな恵みがあるのです。
