2026年 1/11(日) 第二主日
主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
コリント人への手紙 第一 4章1~5節 - 1:
人は私たちをキリストのしもべ、神の奥義の管理者と考えるべきです。
2:
その場合、管理者に要求されることは、忠実だと認められることです。
3:
しかし私にとって、あなたがたにさばかれたり、あるいは人間の法廷でさばかれたりすることは、非常に小さなことです。それどころか、私は自分で自分をさばくことさえしません。
4:
私には、やましいことは少しもありませんが、だからといって、それで義と認められているわけではありません。私をさばく方は主です。
5:
ですから、主が来られるまでは、何についても先走ってさばいてはいけません。主は、闇に隠れたことも明るみに出し、心の中のはかりごとも明らかにされます。そのときに、神からそれぞれの人に称賛が与えられるのです。
メッセージ概要
キリストにより自由にされた私たちに、神様が求めておられるものがあります。
クリスチャンは「神の奥義の管理者」です。
神の奥義とは恵み、すなわちキリストによる救いであり、神は自分勝手で弱い私たちをも憐れみ、滅びから救い出して下いました。
この愛と赦しに預かる者として、神の恵みを他者へ受け継ぐ使命があります。
管理人は所有者ではなく、賜物と役割を与えられて任された務めを果たす者です。
管理人に求められる最も重要な資質は「忠実」です。イエス様が語られたタラントのたとえで、与えられた賜物(タラント)の量は人によって異りますが、忠実に用いた者は主人に喜ばれ、さらに多くを任されます。一方、賜物を隠した者は全てを失いました。
神が求められるのは、神ご自身に対する忠実さです。救い出して下さった主に、誠実に応答する歩みこそが問われているのです。
神からの称賛を得るためには、人と比較したり、評価に左右されたりしないことです。
万物の所有者である神はすべてをご存じであり、私たちの真実を正しく見ておらます。パウロはコリントの人々から批判されても「自分で自分を裁かない」「私をさばく方は主です」と語り、自己卑下せず、健全な自己理解を保ちました。直弟子でもなく、雄弁な説教者でもないと言われても、彼は自分の肉を十字架につけ(ガラテヤ5:24)、主に委ねて、従う信仰に立ち続けました。
主の導きに忠実に歩む者こそ、恵みの管理者として神からの真の称賛を受けるのです。
