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5/3「神からの報い」マタイの福音書 6章1~4節

2026年 5/3(日) 第一主日
聖餐礼拝 

ー西本耕一牧師ー

 

 

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礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】
マタイの福音書  6章1~4節
1:
人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい。
そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。

2:
ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。3:
あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。

4:
あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。
そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。

 

メッセージ概要

 

 人に親切にすることは善いことですが、「人に見せるためにしないように」とあります。神から真の報いを受けるにはどうしたら良いでしょうか。

 

 第一に、「誰のために行うのか」が重要です。人間には「承認欲求」がありますが、人からの評価は移ろいやすく、永遠ではありません。称賛を目的とすると、心は神から離れ、人の顔色に支配されてしまいます。しかし神は、私たちが失敗しても決して見捨てず、命をかけて救い出してくださるお方です。人の評価ではなく、神に心を向けることが大切です。

 第二に、「偽善のわな」に注意すべきです。善行をひけらかすことは、高慢や自己欺瞞に繋がります。「右の手のすることを左の手に見せない」というイエス様の言葉は他人に隠すだけでなく、自分自身の「良いことをしてあげた」という自負(自我)さえも捨てることを意味します。善行を意識せず、自分の手柄を忘れるほどの謙遜さが求められます。

 第三に、「神の報い」は隠れたところにあります。誰も見ていない場所こそ、神が最も近くにおられる場所です。

 クリスチャンの生き方は、人との比較ではなく、神との愛の関係にあります。

 神は私たちがどんな状態でも「高価で尊い」と認め、心に平安と喜びを満たしてくださいます。そして人生の終わりに、主から「よくやった」と受け入れられることこそが、最高の報いなのです。

 主と共に歩む喜びを、何よりも感謝して受け取りましょう。

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