2020年11/15 第三主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
音声メッセージです。
- 【聖書】詩篇126篇1~6節
- :1
主がシオンを復興してくださったとき私たちは夢を見ている者のようであった。
:2
そのとき私たちの口は笑いで満たされ私たちの舌は喜びの叫びで満たされた。そのとき諸国の人々は言った。「 主 は彼らのために大いなることをなさった。」
:3
主が私たちのために大いなることをなさったので私たちは喜んだ。
:4
主よネゲブの流れのように私たちを元どおりにしてください。
:5
涙とともに種を蒔く者は喜び叫びながら刈り取る。
:6
種入れを抱え泣きながら出て行く者は束を抱え喜び叫びながら帰って来る。
メッセージ概要
11月の第四木曜日は、アメリカで感謝祭としてお祝いされています。クリスチャンの大統領であったリンカーンが、祝日として制定したと言われています。その起源はイギリスから聖教徒たちが移住しましたが寒さと飢えのため多くの使者が出て、それを見かねた先住民がトウモロコシの種や食料・衣類を分け与え、翌年多くの収穫が与えられ共に神様に感謝を献げたことに由来すると言われています。今日もコロナ禍にあり決して安心できない生活の中にありますが、神様は私たちをも守りそして素晴らしい祝福を持って満たしてくださいます。
1,イスラエルの復興―主の大いなること
「主がシオンを復興してくださった」とありますが、これはバビロン捕囚の解放を意味しています。イスラエルは不信仰、堕落・偶像礼拝により、バビロンの手に落ち、エルサレムは破壊され、王様初め、主だった者たちは囚われの身となったのです。しかし 70 年の時が経ち、神様の約束通り解放され自由の身となったのです。それはまさに出エジプトに匹敵することであり、ユダヤ人の大いなる解放の時でした。ですから彼らは 2 節にあるとおり、「私たちの口は笑いで満たされ、私たちの舌は喜びの叫びで満たされた」と歌われているのです。「都上りの歌」と題がついていますが、神殿で礼拝するためにエルサレムを詣でる人たちが、エルサレムの坂を上っていくときに歌いながら、自らを励まして神殿を目指したことであろうと思います。
2,繁栄の回復
イスラエルの人たちは、「ネゲブの流れのように、私たちを元どおりにしてください」と歌っています。ネゲブとは、南の荒野・砂漠地帯です。そこには普通、川はありません。それは空想的なことを言っているのでしょうか。そうではありません。実は、荒野に川が流れるときがあるのです。雨期の時に大量の雨が降り 、それが川となって流れ出るのです。ワジと呼ばれていますが、それがイスラエルの南・砂漠地帯にあるのです。しかし神様は「荒野に川を設ける」 イザヤ 43:19) と約束されたのです。何年か前にイスラエルに行きましたが、確かに荒野の中でも井戸を掘り、水を汲んでナツメヤシの農園ができているのです。荒野が緑の園に変えられるのです。
それは何を意味しているでしょうか。それはリバイバルです。あのペンテコステの日のように、弟子たちは死の恐れ不安から解放されて大胆にイエス様の十字架の意味と救いを語ったのです。そして一度に三千人 の人がバプテスマを受けてキリストの弟子に加わったのです。
今私たちは確かに、涙とともに御言の種をまいているような伝道かもしれません。コロナ禍の中にあっても、トラクト等の配布をしたり、地道に伝道を行っています。また、教会に人を誘ったり礼拝に招いたりしています。それはまさに、涙と共に種を蒔くような奉仕かもしれません。しかしやがて芽が出るときがあるのです。救いの収穫・大いなる魂の刈り入れの時が来るのです。その時私たちは、喜び叫びながら魂の収穫を得るのです。そして大いなる救いの束を携えて、神様の元に帰って来るの です。私たちはその時が来るのを信じましょう。そして、今は涙を持って種を蒔くときかもしれませんが、神様は必ず約束を果たしてくださる、バビロン解放の時があり、ペンテコステの日があったそのことを覚えて、イエス様の救い―御言の種を蒔く者とさせていただきましょう。