2020年11/22 第四主日伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
音声メッセージです。
- 【聖書】ペテロの手紙第二 第3章6節
- :9
主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
メッセージ概要
今年も後、1ヶ月あまりとなりました。コロナ感染は終わるどころか、連日増大しています。私たちは感染しないように注意しなければなりません。またそれ以上に心に揺るぎない平安を与えていただき、この苦難を乗り越える者でありたいと願います。
1,人間本来の生き方
確かに、コロナウイルス感染も怖いものであり不安に思うものです。しかし私たちがもっと恐れなければならないことがあるのです。それは裁きの日です。実は聖書にはそのことが書かれ、私たちに注意をうながし、今日いかに生きるべきかを示しています。
ある人たちは、神様から与えられた試練であると受け止めています。なぜなら、そこには目的があるからです。神様の目的とは何でしょか。私たち人間が幸せに生きることです。喜びと希望のある日々を過ごすことを神様は願っておられます。ですから創世記の初めには天地創造があり、神様は人間をご自身の像 かたち に似せて造られ、人格を持ち交わるものとされました。交わりがなければ寂しいものです。私たちもこのように集まって、また交わりを持てるから人生楽しいものです。一緒に苦しみを乗り越えることができるのです。そして神様は、「生めよ、 増えよ、地に満ちよ」と祝福を与えられたのです。そして御覧になり、「非常に良かった」と喜ばれたのです。ですから、人間は神様と共に生きて祝福され豊かになり、神様を喜ぶ生活をそのまま続けるべきでした。神様を愛し、尊び、神様の前にへりくだって生きるべきでした。
2,神との交わりが崩れる
しかし、神様との交わりができなくなりました。神様との交わりを妨げるものを、「罪」と言っています。罪とは犯罪でなく、神はいらない。自分だけで何でもできる。高慢で不遜な心の思いです。その罪が私たちと神様との間に入り、仲を引き裂くもの、 隔てるものとなったのです。それ故に、私たちは神様からの幸いを受けられなくなってしまったのです。一番顕著に表れたのは、ノアの時でした。この世で栄えた人たちは、飲めや歌えと戯れて、神でないものを神とし崇め、真の神様をないがしろにしたのです。それゆえ有名な「ノアの大洪水」が起こり滅ぼされたのです。
今私たちは、コロナ禍にありますが、もう一度、私たちは何のために生きているのか考える大きな機会ではないでしょうか。第一波のときは自粛し、心なしか大気がきれいであまり花粉症もなく、すがすがしく感じたのは気のせいではなかっ たかと思います。健康・安全は当たり前のものではなく、やはり神様がすべてを創造され、私たちは神様によって生かされていることを、立ち止まって落ち着いて考えるときではないでしょうか。
聖書には終わりの日のことが預言されています。ノアの大洪水以上のことが起こります。私たちは何よりいのちを大切にしたいと思いますし、神様は私たちに命の保証を与えてくださいます。
3,神様に対する悔い改め
神様は私たちが滅びないように悔い改めることを願っておられます。私たちは死にますが、どこへ行くのでしょうか。天国に行く確信はあるでし ょうか。どのようにして天国に入れるでしょうか。
ペテロはイエス・キリストを裏切りました。嘘をつき、知らないと言ったのです。しかし彼は赦されました。彼は自分の罪を認めて、お詫びしたのです。彼の失敗は福音書全部に出てきます。しかし彼は後、大使徒になったのです。それは彼の過ち―罪もイエス様が十字架で赦されたからです。そして彼はイエス様を本当に愛し、従う人に変えられたのです。悔い改めとは方向転換です。自分勝手な生き方から、十字架によって赦されて、神様に愛されて、喜んで神様と共に生きるようになることです。
神様は そのことを願い、忍耐してあなたが神のもとに来ることを願っておられるのです。