2021年1/17 第三主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
音声メッセージです。
- 【聖書】エペソ人への手紙 1章20∼23節
- :20
この大能の力を神はキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ、天上でご自分の右の座に着かせて、
:21
すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。
:22
また、神はすべてのものをキリストの足の下に従わせ、キリストを、すべてのものの上に立つかしらとして教会に与えられました。
:23
教会はキリストのからだであり、すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。
メッセージ概要
パウロは偶像崇拝盛んな町エペソで大胆な伝道を行いました。使徒の働き19章には詳細が記されていますが、パウロの手ぬぐいや前掛けを触った人々が癒やされ、悪霊も恐れ主の御名は崇められ、救いの御言はますます広まり、エペソの町に主の教会が建ったのです。それはパウロに力があったからでしょうか。そうではなく、神の力がパウロを通して現されたのです。
1,復活の力
イエス・キリストは死の中からよみがえられましたが、その力は全能の主からの力であり、キリストのうちに働いてキリストは死者の中からよみがえられました。キリストの復活は、弟子たちに大きな力を与えました。彼らは復活によって死を恐れなくなり、不安も心から取り去られて、全世界に福音を宣べ伝える人となったのです。復活を疑っていた弟子のトマスでさえも復活のイエス様に出会い、礼拝しそしてのちにはインドまで伝道し殉教したと伝えられています。
もちろん、この手紙を書いたパウロも捕らえられ投獄されてつらい目に遭ったのですが、く じけることなく獄中の中から手紙を持って福音を語り多くの人に励ましを与えることができたのです。それは彼のうちにもキリストの復活の力が与えられていたからです。
2,天上の栄光
しかし彼の思いはこの地上だけのものではありませんでした。この世だけでなく、次に来る世すなわち天国においてもその力が現されることを信じていたのです。
キリストはよみがえられ40日の間、弟子たちに神の国のことを語られたのですが (使徒 1:3) 、パウロは獄中にあって天上の栄光を見ることができたのです。それは殉教者ステパノと同じです。天開かれたクリスチャンはどんな苦境の中にあっても喜ぶことができます。なぜなら神様は天上の栄光を心の内に見せてくださるからです。
日本でも信仰の迫害はありました。長崎の西坂で26聖人が磔になりました。しかしそこに神の栄光は現され、逆に大勢の人が我先にと聖遺骸を取ろうとしたほどです。ですからパウロの心の中にくじける要素はまったくありませんでした。キリストが栄光の主となり、天に引き上げられ、神の右にあって、この世であっても次の世であっても全てのものの上に君臨されるお方であると信仰によって見ることができたのです。それがパウロの 確信であり生きる力となったのです。
3,教会に与えられたキリスト
教会は確かにこの世では小さい存在かもしれません。力がないかもしれません。しかし創造主なる神様はこのキリストを教会に頭として与えられたのです。そして私たちはキリストの身体であるとパウロはエペソの教会を励ましました。そして偶像礼拝盛んな町でクリスチャンたちは存在し、教会が建てられていったのです。教会とは23節にあるように、「すべてのものをすべてのもので満たす方が満ちておられるところです。」とあるように、キリストが満ちておられる。別の言い方で言う ならキリストが生きておられる (ガラテヤ 2:20) のです。それがパウロの生きる原動力であり (ピリピ 1:21) 、私たちにも与えられている神の祝福です。
私たちはキリストによって生かされています。十字架による罪のゆるしそして復活の力、私たちは信仰によって生きるのです。キリストの栄光を常に仰ぎ見て生きるものとさせていただきましょう。