2021年7/11 第二主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
音声メッセージです。
- 【聖書】エペソ人への手紙 第3章8~13節
- : 8 すべての聖徒たちのうちで最も小さな私に、この恵みが与えられたのは、キリストの測り知れない富を福音として異邦人に宣べ伝えるためであり、
: 9 また、万物を創造した神のうちに世々隠されていた奥義の実現がどのようなものなのかを、すべての人に明らかにするためです。
:10 これは、今、天上にある支配と権威に、教会を通して神のきわめて豊かな知恵が知らされるためであり、
:11 私たちの主キリスト・イエスにおいて成し遂げられた、永遠のご計画によるものです。
:12 私たちはこのキリストにあって、キリストに対する信仰により、確信をもって大胆に神に近づくことができます。
:13 ですから、私があなたがたのために苦難にあっていることで、落胆することのないようお願いします。私が受けている苦難は、あなたがたの栄光なのです。
メッセージ概要
エペソには五穀豊穣の女神アルテミスを祀る神殿があり、世界から大勢の人がこの世の繁栄を求めてやってきました。その中にパウロはイエス・キリストの救いを大胆に語ったのです。
1,神の恵みの目的
パウロはかつてキリストに敵対する人でした。ですから彼は自分のことを「すべての聖徒たちのうちで最も小さな私」といっているのは、かつての自分を思い起こし、神様の憐れみによって救われたことを感謝しているからだろうと思います。それは、私たちも救われる以前はどうであったでしょうか。そして、そのままだったら滅びに向かって行ったであろうと思われるなら、感謝の他はありませんし、パウロの様に「最も小さな私」といわざるを得ないと思います。
何よりも彼は自分が救われたことを感謝しています。それはまさに神の恵みであり、キリスト の計り知れない富―すなわち十字架の赦しの恵みを心の中にしっかりと捕らえていたと思います。計り知れない富とは無尽蔵の富であり、湧いても尽きることのない、溢れ出てくる豊かさです。それがキリストの愛であり、赦しの力です。ですから彼はその富をいただいて伝道しました。そしてこの富を異邦人にも伝えるのが彼の使命であったのです。異邦人とは、神様とは関係ない、恵みに与る資格のないものであり、この世で生きて滅びに向かう者のことです。それが神様の恵みが同じように与えられるのです。
2,奥義の実現
9節に、「奥義の実現」とあり ます。これはキリストの十字架と復活を指していると思います。十字架によってすべての罪が赦され、復活のいのち、永遠のいのちに依って神の御国―天国で生きる者となった。それが奥義です。全能の神によってすべては造られましたが、 11節にあるように、主キリスト・イエスによって実現されたのです。それは神様の救いの計画であり、実際に、教会によってすなわちイエス・キリストを信じ救われたクリスチャンたちによって知らされることです。
私たちはこの世で永遠に生きることはできません。私たちはやがて死に、神の前に立つときがあります。神の御前に立ち、すべての者が裁かれ、天国に行けるのか、それとも永遠の滅びか、神様が定められるのです。感謝なことには、パウロは私たちに「大胆に神に近づくことができる」と語っています。
それは、キリストにあって、恐れることなく大胆に神に近づくことができます。言うなればキリストの愛に包まれて愛の中にあるからこそ恐れはなくなるのです。またキリストに対する信仰、すなわち死んでよみがえった方に全幅の信頼を寄せる、キリストにお任せすることです。ですから私たちは心配しない。キリストがとりなして下さり、全能の神―父なる神に近 づくことができるのです。そしてそれは、善かつ忠なるしもべよ、良くやったと喜ばれて天国に凱旋することになるのです。
3,神の栄光の現れ
13節でパウロは苦難について語っています。この手紙はローマの獄中で書かれ獄中書簡とよばれていますが、このことで落胆しないようにとパウロはエペソの人たちを励ましています。彼はこの苦難をものともせず、反って逆境の中にあってこそ、真実を伝えることができることを感謝しています。たとえば同じ獄中書簡のピリピ書は、喜びが一杯出てきています。ピリピの人たちはその手紙を読んで勇気づけられた ことでしょう。またエペソの人たちもこの手紙を読んで、信じることの素晴らしさを実感したことと思います。ですから、パウロが苦難の中にあって証しできるのは、キリストの愛と真実の実物教訓であり、「あなたがたの栄光」であるとパウロは語るのです。
私たちも苦難の中にあってキリストの真実、十字架の愛と復活の希望を私たちの心に与えていただき、神の栄光を拝する者とさせていただきましょう。