2021年8/1 第一主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
音声メッセージです。
- 【聖書】 詩篇 121篇 1~8節
- :1 私は山に向かって目を上げる。私の助けはどこから来るのか。
:2 私の助けは 主 から来る。天地を造られたお方から。
:3 主はあなたの足をよろけさせずあなたを守る方はまどろむこともない。
:4 見よイスラエルを守る方はまどろむこともなく眠ることもない。
:5 主 はあなたを守る方。 主 はあなたの右手をおおう陰。
:6 昼も日があなたを打つことはなく夜も月があなたを打つことはない。
:7 主 はすべてのわざわいからあなたを守りあなたのたましいを守られる。
:8 主 はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。
メッセージ概要
連日猛暑が続いています。熱中症にかからないように気をつけましょう。
詩篇121篇には神様の守りが謳われています。
題に「都上りの歌」とありますが、エルサレムの神殿で礼拝することを目指して険しい山道を登る巡礼者の励ましの歌です。
1,助けは天地を造られた方から来る
作者は、エルサレムの巡礼の旅の中で「私は山に向かって目を上げる」と歌っています。どのような気持ちだったでしょうか。山とありますが 複数形であり、山脈ともとれます。おそらくは長い道のりを旅してきて更に山々が連なっている。気の遠くなるような思いがしたかもしれません。
ですから、「私の助けは、どこからくるのか」とため息交じりの告白が思わず口から漏れたのかもしれません。 そのようなことは私たちにもあるのではないでしょうか。
この人は「私の助けは、主から来る。天地を造られたお方から。」と確信を持って告白しているのです。使徒パウロもⅡコリント4:8~10で「私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。…私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。
イエスのいのちが私たちの身に現れるためです 。」と証ししています。クリスチャンになっても、苦しみはあります。しかし 、私たちを救って下さるイエス・キリストがおられるのです。
キリストの十字架によって、私たちは咎や過ち罪が赦され、キリストの復活のいのち―永遠のいのちが私たちに与えられ、元気が湧いてくるのです。ですからクリスチャンは窮しません。行き詰まることも滅びることもありません。十字架と復活によって困難を乗り越えて行くことができるのです。
2,主は守り覆って下さる
巡礼者にとって一番大切なのは、 足ではないかと思います。足が弱ってしまえば目的の場所に着くことはできないのです。私たちにとって「足」とは、信仰ではないかと思います。私たちの信仰が弱くなってしまうと目的の神の御国には着けなくなります。しかし主なる神様は「あなたの足をよろけさせず」と約束しておられます。
自分の足が弱くなったなと思うなら私たちは、主なる神様にすがりつくことができます。
新聖歌175には「すがれイエスに イエスの愛に 心は平和と 喜びに満ちん」と約束されています。疲れたときにはイエス様にもたれかかったら良いのです。イエス様にすがるこ とです。イエス様は喜んで私たちを背負って運んで下さいます。
また夜も昼も「まどろむことも眠ることもなく」守られます。ちょうど熱が出た病気の子どもを寝ずの看病をする母親のようなものです。愛をもって一生懸命守って下さるのです。
荒野の旅路は厳しいものです。日が打つとは 、熱射病の様なものでしょう。肉体的にも疲れます。月が打つとは、精神的な弱さであると思います。寒暖の差は激しく、夜は寒くなりますが 、それ以上にこの旅路は大丈夫だろうか、着けるだろうか、不安と恐れが心を支配します。しかし主はすべての災いからあなたを守り、たましいを守って下さるのです。心に力を与え、信仰を強めて下さいます。
そのとき私たちは弱さから脱却し、力に溢れ、明日を目指して立ち上がって行くことができるのです。
3,永遠の守り
主なる神様は、私たちを弱さの中から引き上げ、新しい力を与えそして、地上のエルサレムの神殿ではなく、天の御国の神殿へと導かれます。ですから、神の助けは一時的なものではありません。
永遠の守りです。今から後、永遠に守って下さるのです。
ですから私たちは、守って下さる主を信じ導いて下さる主に委ね従ってまいりましょう。