2021年8/22
第四主日伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
音声メッセージです。
- 【聖書】 ヨハネの福音書 第14章 16節
- :6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。
メッセージ概要
今コロナ感染が急速に拡大し収束の見通しが立たないような状況にあります。私たち自身の心もこの世にあっては希望が持てないような状態ですが、神様は救いの道を備えておられます。
その答えはイエス・キリストです。キリストが私たちを救って下される。それではどのようにキリストが救われるのか。それが聖書に書かれています。今日はヨハネ14:6節のみことばを通して見てゆきたいと思います。
1,恐れからの解放
救いと言っても漠然としていますが、一つには恐れや不安から解放されることです。究極的に私たちは「死」に対する恐れがあります。死んだらどうなるのか、どこへ行くのかわかりません。イエス・キリストは「父のみもと」と言っています。アウグスティヌスという人は「父のみもとに行くまでは、本当の平安はない」と言いました。この世には不安があります。しかし天国に行けば、その不安はなくなってしまうのです。しかもイエス・キリストは私たちを父のみもと、すなわち天国に導いて下さる方である。その方を信じるならば、必ず父のみもと、天国に行けるのです。
車を乗るときナビをつかいます。たとえ初めての所でも、ナビがあれば必ずその目的地に着けるのです。言わばイエス・キリストは天国へのナビゲーションです。イエス・キリストを信じて付いていくなら必ず父のみもとに行くことができ、安心できるのです。
イエス・キリストは「すべて重荷を負って 苦労している者はわたしのもとにきなさい。あなた方を休ませてあげよう」と言って下さっているのです。ですから自分は失敗者だ、だめな人間だという思いや、自分は悪いことをした、ゆるされない、という重荷をキリストの下に下ろすことです。一切の不安や恐れという重荷をキリストにお委ねすれば、私たちの心は軽くなれるのです。
2,キリストの愛の真実
イエス・キリストがこの世にこられたただ一つの目的は、私たちを死から永遠の滅びから救うことでした。ですから、キリストは愛の真実を行われた方です。素晴らしい事を教えてくれる人や、話をする人はたくさんいると思います。しかし、自分のために犠牲を払ってくれる人はどれほどいるでしょうか。私たちに必要なのは、素晴らしい言葉よりも自分を救ってくれる愛ではないかと思います。
キリストが十字架に死なれたのはまさに愛の実現でした。キリストは「友がその友のためにいのちを捨てる、これよりも大きな愛はない」と言われました。そしてあの十字架に死なれることは愛の実現であったのです。それは私たちの罪を負って身代わりに死ぬことでした。十字架はそれ以外の何ものでもないのです。
ですからパウロは「十字架のことばは、滅びる者たちに愚かであっても、救われる私たちには神の力です」と言っています。キリストの十字架の言葉は、神の力であり私たちを救うことができます。十字架によって勇気が湧いてきます。頑張ろうという力、立ち上がろうという力が与えられるのです。
あるビルで火災が起こり、父親と幼い子どもが煙に巻かれ、窓を見ると隣のビルの窓が開いており、11m数十cm離れており、父親はとっさに隣の窓枠にしがみつき橋となって「お父さんの上を渡りなさい」と言い、幼い息子たちが渡り終えた後力尽きて落ち、救いの架け橋となった話があります。
キリストはまさに父のみもとに行く道、私たちの天国の架け橋、愛の架け橋となられたのです。
3,キリストはいのちである
しかし、キリストは死んで終わらなかったのです。死からよみがえられたのです。私たちには復活の希望があります。復活の力により、父のみもと、すなわち天国に行くことができるのです。そこに私たちの希望があります。この望みは消えてなくなることはありません。十字架に付けられた強盗でさえ、イエス・キリストを信じて天国に行くことができたのです。
ですから私たちは困難に遭っても、必ずイエス・キリストは助けて下さり、私たちの重荷をすべて負ってくださり希望を与えて下さるのです。