2021年9/19
第三主日 召天者合同記念礼拝
ー西本耕一牧師ー
音声メッセージです。
- 【聖書】 詩篇 第116篇 1~7節
- :1 私は主を愛している。 主 は私の声私の願いを聞いてくださる。
:2 主が私に耳を傾けてくださるので私は生きているかぎり主を呼び求める。
:3 死の綱が私を取り巻きよみの恐怖が私を襲い私は苦しみと悲しみの中にあった。
:4 そのとき私は主 の御名を呼び求めた。「主 よどうか私のいのちを助け出してください。」
:5 主 は情け深く正しい。まことに私たちの神はあわれみ深い。
:6 主 は浅はかな者をも守られる。私がおとしめられたとき私を救ってくださった。
:7 私のたましいよおまえの全きいこいに戻れ。主 がおまえに良くしてくださったのだから。
メッセージ概要
今日は、召天者合同記念礼拝です。先に、イエス・キリストを信じて天国に帰られた方々を偲ぶとともに、素晴らしい救いを与えて下さる神様を礼拝するときです。
新型コロナウイルス感染の恐ろしいところは、死の危険があると言うことです。普通の風邪を罹ってもあまり恐れは感じません。しかし新型コロナウイルス感染は死に至る危険があります。ですから、連日テレビでも放送されています。感染から守られることも大切ですが、私たちには、死の恐れから自由になる、救われることも非常に大事なことです。
ここには死の中から救われる方法が記されてあります。
1,神様に祈る
4節には「私は主の御名を呼び求めた」と出ています。主の御名を呼び求めるとは、祈ることです。私たちは祈りの最後で「主イエス・キ リストの御名によってお祈りします」というのはまさにこの事です。危機に直面するときに、「主よ、お助け下さい」と祈るとき、必ず助け出して下さるのです。
イスラエルで、エルサレムがアッシリアの大軍に囲まれたとき、ヒゼキヤ王は衣を裂き神殿で祈りました。神様はその祈りを聞かれ、大軍 18万5千を一夜のうちに滅ぼされたのです。驚くべきことです。ですからこの詩はヒゼキヤ王が読んだのではないかとも言われています。とにかく、死に瀕するとき神様は私たちの祈りを聞いてくださり助けてくださいます。
この作者は危機のときだけではなく、「生きているかぎり主を呼び求める」と言っています。「苦しいときの神頼み」だけではなく、常日頃 、神様との交わりを持つことです。「主は、私の願いを聞いてくださる」という信頼があり、私は主を愛しているという信仰がこの人の心にあるのです。
ですから、祈りは死の恐れに瀕する時も必要ですが、日頃 、神様との交わりを祈りによって持つなら、どんなことが起きて来ても安心できるのです。
2,神様は必ず救われる
私たちが神様に救いを求めるなら、神様は必ず救われます。
その理由は5節にあります。神様はどんな方でしょうか。神様は情け深い方です。人情に厚い方です。私たちを思いやってくださる。私たちの弱さを知ってくださる方です。
6節に「浅はかな者をも守られる」とありますが、私たちは失敗しやすい者です。良いと思ってやったことが裏目に出てしまうことがあります。まさに「浅はかな」ところがあるのですが、それでも神様は私たちを守られる方です。しかも、失敗して私たちはおとしめられるとき、すなわち、苦しみと悲しみに取り囲まれて、生きる希望をも失ってしまうとき、必ず私たちを守り、そして救い出してくださるのです。たとえ私たちが落ち込んで、奈落の底に沈んで行きそうに思えるときも、「下には永遠の腕がある」と御言にもあるように必ず神様は私たちを受け止め、支えてくださるのです。
神様の救いは、ただ一時的なものではありません。いつも常に与えられ、そして神様の救いは完全であり、確かなものです。先に天国に召された方たちは、 7節の言葉が成就しています。その魂は、「全きいこい」すなわち完全な平安、安息が与えられ、「主なる神様は良くしてくださった」と心から喜んでいるのです。
私たちはこの地上に今、生かされていますが、私たちも「すべて重荷を負って苦労している者は、わたしのもとに来なさい」と言われる、救い主イエス・キリストのもとに行き、苦しみを取り除いていただき、真の安息を与えていただきたいと思います。