2022年1/30 第五主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 ピリピ人への手紙 4章 6~7節
- :6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
:7 そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。
メッセージ概要
ここ数日、オミクロン株によってコロナ感染が増大していますが、心配される方も多いかもしれません。神様は私たちに生きることの「真の解決」を与えて下さいます。
1,思い煩わない
神様は私たちに「何も思い煩わないで」と言われます。確かに私たちは心配する者です。困難なことに直面すると心が弱くなります。私たちの心に中に「思い煩い」が出てくるのです。しかし神様はそれをやめなさい。と言われます。考えることをストップさせることです。一旦停止です。そこを、そのまま行き過ぎてはならないのです。
一旦停止しないで反則切符を切られたことがありました。止まっていたつもりでも、車は動いていたと言われました。自分では気がつきません。動いていないつもりでも動いているのです。もし思い煩いが出てきたら、ブレーキを かけることです。まず立ち止まって、十字架のキリストを仰ぎましょう。キリストの十字架によって、心の暗闇は開かれ、光が差し込むようになります。
2,感謝を神に献げる
思い煩いはつらいものです。楽なことはありません。楽しいことではありません。しかしパウロは「感謝をもってささげる祈り」と言っています。彼はこの手紙を牢獄の中で書きました。そしてこの手紙には「喜び」という言葉が随所に書かれています。
本当に喜べなかったら書けないと思います。ですから彼の心の中には喜びがあり、そしてその喜びの源となるものが彼のうちにあった のです。彼は喜びの素をもっていたのです。
それはペテロも同じでした。物乞いに求められた時「私には金銀はない。しかし私のうちにあるものをあげよう、ナザレのイエスの名によって歩きなさい」と命じ、足の不自由な人は立ち上がり歩いたのです。
パウロのうちにも同じものがあったのです。キリストが彼の心の内におられ、彼を絶えず励まし慰めておられたのです。ですから、彼はどんなときであってもくじけず、感謝を献げ、喜びに満ちあふれることができたのです。
ですから、クリスチャンの特権は何かと言いますと、実は、どんなときでも、どんなところでも、神様に感謝することができると言うことです。
なぜなら私たちは、ただ神様の憐れみによって救われました。自分が良いことをしたからではないのです。価値ある人間だから救われたのではないのです。良いこともできない、何の価値もないそのような人間が、ただ神の憐れみによって救われる。キリストが十字架によって身代わりとなり、滅びから救われたのです。それを信じるなら感謝しかありません。
パウロは「あらゆる場合」と言っていますが、一つ一つのこと、それぞれに感謝をささげることです。不思議なことですが、感謝できない行き詰まった とき、目の先が真っ暗なとき、それでも「感謝します」と口に出して祈れば、本当に心が感謝にあふれ、喜びに輝くことができるようになります。
3,神の平安が守る
私たちは人に訴える以上に、神に祈るべきです。イエス・キリストは、ことごとく祈られました。あの死んだラザロをよみがえらされる時も、まず、父なる神様に「感謝します。」 (ヨハネ11:41) と祈られました。ですから、祈られなかった日は一日としてなかったはずです。絶えず祈られました。それがキリストの勝利の秘訣であり、あの十字架の恐怖・痛み・悩み・恥にも勝利されたのです。ゲツセマ ネの祈りがあったからこそ、十字架の勝利があったのです。私たちも心の苦しみから解放されたいと願うなら、口に出して、お祈りしていくことです。そうするなら、必ず道は開かれます。
パウロの答えは、神の平安が守って下さると証ししています。それはパウロの実体験であり、また私たちが苦しみの中で、祈っていくなら神様は必ず答え、その証拠として、神様が与えて下さる絶対的平安をもって、あなたの心、その思いを、必ず守られます。そのことを信じましょう。神の安らぎを心に満たしていただきましょう。