「失望に終わらない」

2022年3/6 第一主日 礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】 ローマ人への手紙 10章 11~13節
:11 聖書はこう言っています。「この方に信頼する者は、だれも失望させられることがない。」
:12 ユダヤ人とギリシア人の区別はありません。同じ主がすべての人の主であり、ご自分を呼び求めるすべての人に豊かに恵みをお与えになるからです。
:13 「主の御名を呼び求める者はみな救われる」のです。

 

メッセージ概要

 先週、ロシアのウクライナ侵攻が始まり1週間が過ぎました。キリスト教関係の団体や個人から祈りの依頼が多く寄せられています。このときにこそ、主の救いが与えられるようにと祈らなければなりません。

1,失望させられない
 今、ウクライナから隣国へと多くの人が逃れています。
 聖書の視点から見ますと、ユダヤの国が滅ぼされて全世界に散らされたような姿に見えます。
しかし逃れた者レムナントに神様は恵を施されます。私たちはこのことを覚えて祈るべきではないかと思います。

 ウクライナは正教が60%と言われていますが、今こそ福音が伝えられるべきであり、私たちは困難な中にも救われる魂が起こされるようにと祈らされます。

 私たちは祈るとき、主イエスの御名によって祈ります。なぜなら私たちの祈りを取りなして下さるのはイエス・キリストだからです。そして祈 る私たち自身が、キリストを信頼して祈るべきではないでしょうか。必ず神様は助けて下さる。救いに導いて下さる。それを信じる責任は私たち一人ひとりにあると思います。

 そして私たちこそが11節にあるとおり「失望させられることがない」ことを実証する者でありたいと思います。

2,全ての人に恵が与えられる
 聖書のおよそ三分の二は旧約聖書です。ほとんどはユダヤに関係があります。だからといって、私たちはユダヤ人になる必要はありません。

 旧約聖書の時代においてはその必要性はあったかもしれませんが、新約聖書の時代になってからはその必要はまったく無くなったのです。

 パウロが言っているように、ユダヤ人とギリシア人の区別がない、人種的区別がまったく無いと言うことです。このことはまた、ギリシア人とは異邦人のことであり、宗教的な慣習にもまったくとらわれないことの意味があります。すなわち、聖書を読んでいるから教会にいっているから、そのような生活をしているから、神様はよくして下さるというわけではないのです。

 それでは何が条件なのか。「ご自分を呼び求めるすべての人」です。キリストを求める人ならどんな人であっても、豊かに恵を与えて下さるのです。要は、キリストを信じることです。11節にある「この方に信頼する者」とありますが、キリストを信じる人です。救われる唯一の条件はキリストを信じることです。キリストを信じるなら絶対に失望することはありません。

わたしも50年信じてきていますが、自分に失望したり、人に失望したことはあっても、未だにキリストに失望したことはありません。むしろ、恵みをこれでもか、これでもかと豊かに与えて下さっています。ですから、信仰をやめることができないのです。

3,主を求める
 13節の「主の御名を呼び求める者はみな救われる」とはヨエル2:32の御言葉です。これはペテロもイエス・キリストが十字架にかけられたエルサレムで同じ御言葉を語りました(使徒 2:21)。その日に3千人の人が一度に救われたのです。彼らは特別な修行をしたり、聖書の知識をもって救われたのではありません。ただ単純にイエス・キリストを救い主として信じ、約束の御言葉を受け入れ、バプテスマを受けたのです。

 「主の御名を呼び求める」とは祈ることです。祈りを表しています。12節には「ご自分を呼び求める」とありますが、イエス・キリストを求めるのです。
キリストは必ず答えて下さいます。私たちはいま困難な時代の中に生きていますが、キリストは必ず救って下さり答えを与えて下さいます。
 何よりも私たちはキリストに求め祈る者とさせていただきたいと思います。

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