「善いことを行う」

2022年3/13 第二主日 礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】 エペソ人への手紙 4章 25~32節
:25 ですから、あなたがたは偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい。私たちは互いに、からだの一部分なのです。
:26 怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。
:27 悪魔に機会を与えないようにしなさい。
:28 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。むしろ、困っている人に分け与 えるため、自分の手で正しい仕事をし、労苦して働きなさい。
:29 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。むしろ、必要なときに、人の成長に役立つことばを語り、聞く人に恵みを与えなさい。
:30 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
:31 無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。
:32 互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。

 

メッセージ概要

 イエス・キリストを信じるなら私たちは新しい生き方ができます。その具体的なことが、エペソ4章25~32節に記されています。

1,真実を語る
 教会には様々な人がいます。経験も賜物もまた性別・年齢も違います。共通しているものは何か。イエス・キリストを救い主・神と信じていることです。ですから教会の頭はイエス・キリストであり私たちはキリストにあって生かされ、 24節終わりにあるように、私たちはキリストの身体の一部であると言うことです。そのようなお互いが偽っていいのか。良くないのです。私たちはキリストの救い、すなわち罪の赦しを与えていただいているのです。ですから、誰が偉いとか、誰が劣っているとかそのようなことは問題ではありません。

イエス様の弟子たちも最期の晩餐で、競い合っていました。でもそれは神様の喜ばれることではなかったのです。しかし彼らは、キリストの復活によって自分たちの真実がわかり、互いに祈り悔い改めて一つとなることができたのです。それによって、新しく教会が誕生したのです。

 ですから、私たちは救われた者、罪赦された者としてあるがままに生きるべきです。偽る必要はまったくないのです。自分は自分として、神様に造られた者として堂々と生きるべきです。

2,悪魔に機会(場所 )を与えない
 この世にはサタン―悪魔がいます。機会を狙っています。私たちを神様から話そうとしています。その餌食になったのが、アダムとエバでした。彼らはそそのかされ、神様との約束を破り、その結果、自分の罪を恥じて身を隠しました。そして、神様から遠ざかり、祝福を受けない者、すなわち苦労して働き、苦しみを持って子を産むものとなったのです。それが罪の結果でした。

 しかし、第二のアダム―イエス・キリストは、私たちを罪の滅びから救うためにこの世に降り、私たちの罪の赦しとなって十字架に死んで下さったのです。そのことにより、私たちは神の愛がわかりました。十字架は愛のシンボルです。私たちの罪を赦すために自分自身が犠牲になるそのことをイエス・キリストは実現されたのです。それによって私たちの罪が赦されたのです。

 しかし悪魔は今も働いています。私たちは悪魔に働く機会を与えてはいけません。ですから、怒っても次の日に持ち越してはいけないのです。心の中にある悪を取り除いていただく必要があります。盗みも行けないことです。それは不正の意味もあります。自分の手で正しく働くことです。悪い言葉も人を傷つけ悲しませることになります。

 何よりも聖霊を悲しませてはなりません。聖霊は神ご自身です。私たちの心に働かれ、私たちに慰めと励まし、力を与えて下さる方です。決して神をないがしろにしてはなりません。祝福を失ってしまいます。

3,互いに赦し合う
 そして実際に大切なことは、互いに赦し合うことです。それはキリストが十字架で私たちの失敗や過ちを赦して下さり、神の子として下さったことです。

 何よりもその確信を、保証を与えて下さるのが御聖霊です。聖霊が保証となって下さるのです。保証書に印がなければ無効です。その保証書に聖霊の印が押してあれば、私たちを神様は修繕して下さる。たましいを癒やし、心に喜び活力を与えて下さるのです。それがクリスチャンの恵みです。ほかでは得ることのできないものです。

 神様の豊かな愛を私たちは受けて、神様の喜ばれる生き方をしてゆきたいと思います。

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