2022年3/27 第四主日
伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 ペテロの手紙 第一 5章 5~7節
- :5 同じように、若い人たちよ、長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与えられる」のです。
:6 ですから、あなたがたは神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神は、ちょうど良い時に、あなたがたを高く上げてくださいます。
:7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。
メッセージ概要
3月は年度替わりです。4月からは新しい生活が始まる方も多いと思います。特に学生の方は入学試験に合格し新しい学校での学びにスタートする方もおられます。
しかしまた受験に失敗したと言われる方もあるかもしれません。
内村鑑三は
「学校は成功に達する唯一道ではない。人生は広くある。成功に達する道は多くある」と言ったそうです。 受験の失敗は人生の失敗とは必ずも意味しません。
失敗を通して、大切なことを知る機会があります。
私の知っている人は、高校受験で失敗して中学生の浪人となりました。今では珍しくもないかもしれませんが、昔はあまりいなかったと思います。しかし、そのことを通して、自分の人生・生きることの意味を考えるようになり、「教会でその意味を見つけることができた。」と 証ししていました。それは自分だけが苦しむのではない。そして自分のために苦しんでくれる方がいることを発見したのです。それはイエス・キリストです。
自分はひとりぼっちだ。だれも自分のことを考えてくれない。そう思って教会の礼拝堂に一人たたずんでいたとき、目の前には講壇があり、その後ろには十字架があった。そして、その十字架を見上げたとき、キリストははり付けにされて、十字架の苦しみを受けられた。
何のために十字架にかけられたのか。そしてどうして苦しまれたのか。キリストはどのような姿だったのか。もう一度、聖書を読んだときに、何一つ悪いことをされていない。むしろ弱い人を助け、病の人を癒やし、良いことをしておられた。なのに、憎しみを受けて十字架につけられた。その十字架を仰いでいるときに、このキリストこそ私の苦しみや悩みを知って下さる方だ。キリストこそが人生の中で自分の弱さや愚かさ失敗を思いやって愛して下さる方だ。とわかったそうです。
人生の苦しみに遭って、初めて人生の真実、そして自分を救って下さる方がおられる。そのことがわかった。生きていて良かったと証しされました。
ですから、受験の失敗あるいは仕事の失敗は、決して人生の失敗では ないのです。むしろ失敗を通して分かるものがあります。
それは自分の存在価値です。
今読んだ聖書の中には「謙遜を身につけなさい」とあります。私たちが自分の失敗を通して得られることは「謙遜」ではないかと思います。それは自分を卑下することではありません。
全能の神の前にへりくだることです。それによって神様は恵みを与えてくださる事が分かります。そしてちょうど良いときに、神様は心を引き上げ立ち直らせ、力を与えて下さいます。神様は「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配して下さるからです 」と言っておられます。
日本へ最初に伝道に来たのはフランシスコ・ザビエルです。
彼を誘ったのは、イグナチウス・デ・ロヨラです。
彼は戦士でした。しかし砲弾に当たり瀕死の重傷から生き返りました。その時にキリストを救い主と信じ、人生が変わったのです。そして伝道に励み「たとえこの世の富を全部手に入れても、自分の命を失ったら何の得になるか」とザビエルに語り、彼も救われ東洋に日本にキリストが伝えられたのです。もし、ロヨラが負傷しなかったら、ザビエルが救われていただろうか、日本にキリスト教が伝えられていただろうか、と思います。自分がだめになったとき、役に立たないと思われるとき、神様はへりくだった者に恵みを与え、全く新しく造り変えて下さいます。
思い煩いを神様にゆだね、神様の愛、新しい命を与えていただいて生きる者とさせていただきましょう。