2022年4/24 第四主日
伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 ヨハネの手紙第一 4章 9節
- :9 神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちにいのちを得させてくださいました。それによって神の愛が私たちに示されたのです。
メッセージ概要
今日は、ヨハネ第一の手紙4章9節のみことばを開かせていただきました。この手紙は、イエス・キリストの弟子であったヨハネという人が書いた手紙です。
この手紙には、「愛」ということばがたくさん出てきます。ヨハネは、愛の使徒と称されました。しかし、初めの頃は短期で怒りやすく、ボアネルゲ(雷の子)と呼ばれていました。しかし彼はイエス・キリストによって愛され、その愛によって人生が変えられたのです。
私たちの人生を豊かにするのは神様の愛以外にはありません。一言でいうなら、愛によって私たちの心は満たされ、喜びの人生を得ることができるのです。
ある人が「愛されない人生は、この世の地獄、しかし、愛せない人生は永遠の地獄だ。」と言ったそうです。
私たちはただ、自分が愛されることを目指すのではなく、人を愛することのできる人間に変えられたらなんと幸いであろうかと思うのです。
確かにお金があれば、豊かな暮らしはできると思います。また、薬も買うことができます。しかしお金で買えないものもあります。人のいのちであり、幸せです。また科学万能主義という人もありますが、確かに社会は便利になり、生活は楽になったと思います。でも、それで人間は幸福になったのかというとそうでもありません。
ある心理学者が、乳児院で子どもの発育度を調べる中に、環境や栄養状態が同じでも、一人ひとりの子どもに手をかけ世話をして育てている施設と、十分な人手で世話ができない所とでは、子どもの成長・人格的成熟の著しい違いが見えたと言っておられました。ですから、物質以上に心のケア―愛することの大切さが分かります。 そして今の時代、権力主義―暴力、戦争がいかに恐ろしいものであり、人間の生活また人の命までも奪ってしまうものであるかが分かります。まさに人間は愛なしに生きられない者です。
ヨハネは、「神の愛が私たちに示された」と言っていますが、どこに示されたのでしょうか。
「神はそのひとり子を世に遣わし」とあります。イエス・キリストです。イ エス・キリストを通して、神様はご自分の愛を表して下さいました。キリストの生涯については、新約聖書の福音書に詳しく出ています。貧しい者の友となり、病める者を癒やされ、死んだ者をも生き返らされる、愛に満ちた方です。
ところが、人のねたみにより、十字架にはり付けにされ、苦しみを受けられました。しかし、自分を十字架に付けた人を哀れみ、愛し、天の父なる神様に「神よ、彼らを赦して下さい。」と祈られたのです。それは普通の人にはできないことです。しかし、神様は私たちをも変えて下さる方です。
なぜなら神様は私たちに新しい いのちを与えられます。それは「人を愛する」といういのちです。ヨハネもそのいのちが与えられました。ですから、彼も変えられたのです。怒りの人から愛の人に変えられたのです。
神様は、私たちにもそのいのちを与えて下さいます。ひとり子イエス・キリストによって、私たちに「いのち」を与えて下さるのです。その「いのち」とは肉体のいのちではなく、魂のいのち心のいのち―永遠のいのちです。そのいのちを神様は私たちの心に与えて下さり、いろんな暴力や苦しみ、悲しいことつらいことに打ち勝つちからを与えて下さるのです。私たちもキリスト によって、いのちが与えられ、弱さに打ち勝っていくことができるのです。
長崎大浦天主堂近くに、聖コルベ館があります。コルベ神父は長崎で奉仕活動をしていましたが後、ポーランドに帰り、ナチスに反対しアウシュビッツ収容所に入れられます。
あるとき囚人が脱走し、その責任で無差別に10人ずつが殺されるとき、一人の家族持ちの囚人の身代わりとなって死んだのです。収容所の過酷な状況の中で自分の命を守るのに精一杯なのに、身代わりを申し出て、皆唖然となったそうです。
彼が死の監房に入れられたとき、祈りと賛美歌で満ちあふれ、そこはさながら聖堂のようであったと言われています。彼は輝きに満ちて天国に凱旋したのです。
私たちも、キリストによって神の愛が与えられ、喜びに満ちたいのちが与えられます。