2022年6/19 第三主日
父の日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 エペソ人への手紙 6章 4節
- :4 父たちよ。自分の子どもたちを怒らせてはいけません。むしろ、主の教育と訓戒によって育てなさい。
メッセージ概要
今日は父の日です。父の日はアメリカで始まりました。
ソノラ・ドット夫人が教会の礼拝で母の日の由来を聞いたときに、自分のお父さんが南北戦争で九死に一生を得て帰って来たのにお母さんは過労で倒れ、男手一つで 6人の子どもを育ててくれた。その感謝を表したいとのことから父の日が始まったそうです。
肉親の父親に感謝をするとともに、万物の創造者である神様にまず感謝する者でありたいと思います。
1,子どもたちを怒らせない
ユダヤでは子どもの教育は父親が当たったそうです。日本ではかつて、「教育ママ」ということばがありましたが、父親が子どもを教える。それは厳しいこの世を生きていく上に、どのように生きていくのか教えるのが親の責任であったのです。
ですから、この手紙を書いたパウロも生活をするために手に職を持っていました。天幕職人としてその技術を持って生活していたのです。生きるためには、プライドを捨て技術を身につけてどこでも生きていける。それが子どもに教える父親の役割でした。それによってユダヤ人は迫害に遭ってもくじけることなく生活し 生き抜いていったのです。
それを子どもに教えることは 、 忍耐を要しました。子どもが怒ってイライラし、投げ出してしまっては元も子もありません。また圧力をかけて、萎縮させても、学ぼうとはしなくなるのです。
2,懇切丁寧に教える
子どもの教育は、なまじっか言ってもその通りにはなりません。忍耐が必要です。また、自分がその通りになっていなければ、子どもは同じようにはできません。
まず、自分自信がその通りにできているかが問題です。自分ができていないのに教えることはできないのです。
親の背中を見て子は育つと言われますが、密林の聖者と言われたアルバート・シュバイツァーは、「牧師の説教は分からなかったけど、礼拝の席で親の姿を見て神を畏れ敬うことが分かった」と言っていました。まず自分自身がその通りに行動することです。
3,主による教育
どれだけ自分がよい手本となっているか分かりませんが、主の教育と訓戒とことばがあります。「主の」ということばがミソです。自分自身が主イエスとつながっている。「わたしのくびきは負いやすい」と言われたイエス様が一緒にいて、教えて諭して下さり、時には戒めを与えて育てて下さるのだ、という信仰が必要です。
自分がするのではなく、一緒に重荷を負って下さる主がなして下さる。くびきを共に負って下さる主が私にも力を与えて下さる。私が一人で行うのではなく、主が一緒に働いて下さる。これだったら自分にもできる。主が共におられるなら大丈夫だ、と確信が持てるのです。
そして、子どもは教えるのではなく、育てる、はぐくむものです。神様の愛によって育てるなら、神様の愛をいただいて対処できる子どもが成長します。
私たちがまず、信仰を持って主なる神様に愛され活かされ、また子どもたちにも良き影響を与える者でありたいと願います。