「愛の現れ」

2022年6/26
第四主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】 ローマ人への手紙 5章 8節
:8 しかし、私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死なれたことによって、神は私たちに対するご自分の愛を明らかにしておられます。

 

メッセージ概要

 皆さんおはようございます。今日は、新約聖書ローマ人への手紙5章 8節から、「愛の現れ」と題してお話しいたします。

 このことばの中に、キリストと 出 てきます。キリスト教の中心はキリストです。私たちが、いろんな苦しみや悲しみから救われたい、あるいは死んでも天国に行けますようにと願うなら、このキリストの名前が必要です。それは私たちを救ってくださるのは、このキリスト以外にはおられないからです。

 その一つの表れはクリスマスです。
 本当に不思議なのは全世界でキリストの誕生がお祝いされることです。

 キリストがお生まれになった。キリストが現れたことが、全世界の喜びであり一人ひとりに救いが与えられることの証拠となったのです。私は最初クリスマスの 意味は分かりませんでした。でも、プレゼントをもらったり、ケーキを食べたりして、楽しい日だ、喜びの日だということは分かったのです。

 そして今は、キリストによって、すべての悩み苦しみから解放され、永遠のいのちが与えられ、たとえ死ぬようなことがあっても天国へ行けると信じています。

 なぜでしょうか。それは神様自身が、ご自分の愛を示してくださっているからです。
神の愛が、分かるようになったからです。それは、私だけでなく、皆さんも信じることができます。

1,無条件の愛
 この聖書のことばに、「私たちが罪人であったとき」とあります 。神様の愛は罪人に与えられます。ときどき、私は教会に行けるような人間ではありません。まじめになってから行きます、と言われる人がいます。実は、まじめにならなくてもいいのです。その前の6節では、「キリストは、不敬虔な者たちのために死んでくださった」とあります。まじめでなくてもいいのです。神を畏れない、不敬虔な者でいいのです。

 神様の愛は無条件です。私たちが罪人であったとき、不真面目で何の役にも立たない、それよりも悪いことをした、失敗ばかりしている、そのような者を愛してくださるのが神の愛です。

 ですから、神様が愛してくださるのは立派な人だから、役に立ちそうだから、ではありません。役に立たない、良いことができない、自分は罪人だ、そのような人に神様は、「わたしはあなたを愛している。わたしのめには高価で尊いのだ」と言ってくださるのです。

2,私たちのために死なれた
 キリストの愛は、一言で言うなら、死んでくださる愛です。身代わりになってくださる。いのちを捨ててくださる愛です。

 今日は頬に絆創膏をしています。粉瘤物ができ急遽手術を受けました。部分麻酔をしましたが、かなり緊張しました。その時に改めて、キリストの十字架を思い ました。全く罪を犯されていないのに、手足を釘で打たれ、肉が裂け、血がほとばしり出る。それほどの大きな苦しみを受けて、罪を赦してくださった。これほど大きな愛は他にはありません。

 アメリカの小さな村の学校の話しを思い出します。子どもたちが物を盗ったり喧嘩したり荒れ放題でした。先生も困り果て、みんなで規則を作りました。授業中に弁当を食べたら鞭二つ、嘘ついたら鞭五つ、盗んだら鞭が十、しばらくはみんなまじめに、仲良くなりました。しかし、あるとき「弁当がない!」事件が起こり、食べたのはお父さんが大酒飲みで貧しい、食事も十分にとれない1年生の子どもでした。でも、盗んだら鞭十、大変なことです。

でもその時に、弁当を取られた6年生の子どもが、そんなことしたら死んでしまうかもしれない。僕が代わりに受けます、と申し出て、代わりに受けたのです。先生も涙を流しながら鞭をたたき、みんなも声をあげて泣いたそうです。その日以来、だれも喧嘩をしたり、意地悪しなくなったそうです。みんな仲良くし、弱い子を助け合うようになったそうです。

 神様は、ご自身の愛を、十字架で現されました。私たちの罪を、キリストが負って下さり、身代わりに死んで下さったのです。ここに神の愛が現されたのです。

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