「岩の上に建てる」

2022年 7/3
第一主日 礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】 マタイの福音書 6章 24~27節
:24 ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。
:25 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。
:26 また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。
:27 雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」

 

メッセージ概要

 今年は梅雨が早く明け、連日猛暑が続いています。これも地球温暖化の影響かもしれません。先日も、テレビでゲリラ豪雨や線状降水帯の話しがでていましたが、まさに聖書のノアの大洪水を思わせられました。

 ノアの大洪水は偶然的に発生したのではありませんでした。創世記6章を見ると、「地は神の前に堕落し、地は暴虐で満ちていた」 (11節 )とあります。

 おそらく地球温暖化もある意味、単なる自然災害ではなく人間の欲によって生じた結果かも知れません。とにかく今の時代も、ノアのときとあまり変わりはないのかと思われます。

 この時代においても神様は私たちに警告を与え、そして備えるべきことを教えられます。

1,災害の発生
 25節に「雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いて家を襲う」ことがでています。自然災害は広範囲に起こります。洪水でも地震でも周り一体に同じようなことが起こります。

 このところでも、家が2軒でてきます。同じ災害に遭っています。条件は一緒でしたが、その結果は大きく異なりました。岩の上に建てられた家は洪水が押し寄せてもびくともしませんでした。しかし砂の上に建てられた家は倒れてしまい、その倒れ方はひどかったと言われています。砂岩は比較的柔らかく、家は建てやすいです。しかし洪水が起こると簡単に流されてしまいます。逆に硬い岩の上に家を建てることは骨の折れることですが、洪水が来てもびくともしません。

 物理的にもしっかりした所に家を建てるのが賢明ですが、それはまた私たちの人生にも当てはまることです。自分の人生の基板をどこに据えるのか、それによって流されてしまうのか 、それとも災いが来てもしっかりと立つことが出来るのか大きな違いが出てくるのです。

2,神のみことばを聞いて行う
 私たちの人生の大きな違いはどこに現れてくるでしょうか。いろんな場面があると思います。一つは、いのちの危険を感じるときではないでしょうか。その時に心に平安が与えられる。そして災いが過ぎ去り平和が訪れる。そうなれば感謝ではないでしょうか。

 イエス・キリストは、「わたしのことばを聞いて行う」と言われました。神のことばを聞いて実行する。その人は自分の家を岩の上に建てた賢い人だと言われたのです。聖書のことばを聞く、そしてそれを実行する。それが岩の上に人生を建てる賢い人だと言われるのです。流されることなく、困難にぶつかってもくじけることがない。まさに岩に建てられた人生を得ることが出来ます。

その代表的な人物の一人はダビデではないでしょうか。彼はいろんな試み苦しみに遭いましたけれども、神様を信じ、そして委ね、従って勝利と喜びを得ることが出来ました。彼はいのちを狙われるサウロ王の手から逃れたとき「主よ、わが巌、わが砦、わが救い主よ。身を避ける、わが岩なる神よ」と歌いました (2サムエル 22:2~4)。キリストが私たちの救いの岩です。神様はあらゆる困難、悩み苦しみから私たちを救って下さり、たましいの安らぎ、永遠のいのちを与えて下さる方です。この方こそ人生の巌です。この方の上に私たちの人生を築き上げるべきです。

 後で賛美する「安けさは川のごとく」は、ホレイショ・スパッフォードによって作詞されました。彼は弁護士として成功し不動産をたくさん持っていましたが、一人息子が若くしてなくなり、不動産もシカゴの大火で失いました。しかし4人の娘がおり、休暇を取って先に奥さんと娘さんたちが船で英国に渡っていく途中に沈没し、奥さんだけが助かりました。彼は奥さんを迎えに行く途中、 4人の娘さんたちが遭難した所に来たとき、「娘たちは今、イエス様の安らぎの御手の中にいだかれている。わたしの心は平安だ」と、たましいの安らぎを歌う歌がでてきたそうです。キリストこそ、救いの岩、平安を与える主です。

 私たちにもたましいの苦しみを乗り越える大きな主の愛、安らぎを与えていただきたいと思います。

最新情報をチェックしよう!