2022年 9/25
第四主日 カナン宣教デー礼拝
ー丸本 浩牧師ー
- 【聖書】 出エジプト記 17章 8~13節
- :8 さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦った。
 :9 モーセはヨシュアに言った。「男たちを選び、出て行ってアマレクと戦いなさい。私は明日、神の杖を手に持って、丘の頂に立ちます。」
 :10 ヨシュアはモーセが言ったとおりにして、アマレクと戦った。モーセとアロンとフルは丘の頂に登った。
 :11 モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になった。
 :12 モーセの手が重くなると、彼らは石を取り、それをモーセの足もとに置いた。モーセはその上に腰掛け、アロンとフルは、一人はこちらから、一人はあちらから、モーセの手を支えた。それで彼の両手は日が沈むまで、しっかり上げられていた。
 :13 ヨシュアは、アマレクとその民を剣の刃で討ち破った。
メッセージ概要
今日の個所から祈りについて教えられる。
①信仰を表明する。
 神様はモーセの上がっているその手を見ておられた。手を上げるということは信仰の表明。その手を神様は見ておられた。信仰の具体的な表明というものを神様は大切にされる。私達も信仰の表明をするなら神様はそれを見られ、そこに働いて下さる。
②祈り続ける。
 手を上げればイスラエルが勝ち、下げるとアマレクが勝つ。という事はアマレクの方が強いと言う事。だから手を上げ続けなければならなかった。
 私達も同じように問題の方が、私の解決能力よりも大きい場合がある。だから祈り続ける。
悪魔は私達が祈りをやめるのを待っている。また、祈り続けないと罪の誘惑に勝てない。モーセ
が手を上げ続ける事によってアマレクを撃退したように、私達も祈り続ける事によって敵を撃退する。
③協力して祈る。
 モーセが石の上に腰掛けていて、両側からアロンとフルが手を支えている。ある意味無理やりに手をあげさせられているだけ。しかし神様はモーセが人の手を借りている事を問題にされなかった。祈りとは多くの人の協力によってできるもの。
 モーセとアロンとフルの3人が支え合って手を上げている姿があるべき祈りの姿。
手を上げているモーセだけではなく、それを支えているアロンとフルも、祈りに加わっている。
(結論)
 私達の前にも問題や困難、自分自身との戦いというアマレクがいる。だからこそ祈らなければならない。
