2023年 1/29
第五主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 エペソ人への手紙 4章 32節
- 4:32 互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。
メッセージ概要
ウクライナの戦争が始まって1年近くなります。今も悲惨な状況をニュースで聞きます。もしこの世が愛で満ち、人を赦す心が豊かであるなら戦争はおろか人との争いもなくなるのではないでしょうか。この世が暗くなり乱れているのも愛と赦しにかけているのが原因ではないでしょうか。
聖書に「互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい」と言っていますが、本当に赦すとはどういうことか考えてみたいと思います。
1,受け入れる
一つには相手をありのまま、愛をもって受け入れることです。ルカの 15章に放蕩息子の話があります。父親に背き、財産を湯水の如く使い果たし、変わり果てた姿を持って帰ってきた息子を父親は走りより抱きしめ受け入れたのです。
確かにその息子は天に対しても父親に対しても罪を犯しました。赦してくださいとお詫びしたのですが、実は父親はもっと前から赦していたのです。財産を持って飛び出す前から息子を愛していました。愛があるからこそ、息子のわがままを赦したのです。そして愛があるからこそ、傷つき汚い身なりをして帰ってきた息子を受け入れたのです。息子が父親を見つける前から、父親は息子を探していました。ですから遠くから帰ってきた息子を最初に見つけたのは父親だったのです。そして傷ついた息子を見ると駆け寄り抱きしめ口づけしたのです。そして死んでいたのに生き返ったと大喜びで彼を迎え入れみんなでお祝いしたのです。
神様はそのように、失敗し、自分はだめだ、愛される資格はないという私たちを受け入れてくださいます。汚いままで私たちを抱きしめ、そして良く帰ってきたと喜んでくださるのです。キリストは「すべて重荷を負って苦労している者はわたしのもとに来なさい。あなた方を休ませてあげよう」と弱っている私たちを抱きしめ受け入れてくださるのです。
2,罪を忘れる
そして、赦すということは、相手の悪、悪いことを忘れると言うことです。もう、もはや二度と思いださないのです。
ある人は、「心の罪で悩みました。それは、自分の信頼している友達が、自分のことを他の人に悪く言ったのです。しかも、自分を信用してくれている親しい人にまで、告げ口をして悪く言いふらしたそうです。そのことでもって、その友達とは口をきかなくなりました。別に暴力を振るうとか、人にその友達の悪口を言うとかなにもしなかったのです。ただ心の中に悪口を言いふらされた、屈辱、憎しみが心にありました。自分の心は傷ついた、痛みがあったのです。長いこと赦すことはできませんでした。表面的には穏やかで何もないように見えていて、振る舞っていたのですが、心の傷は癒やされなかったのです。
ところが、ふとしたきっかけで教会に行くようになり、キリストのことを知るようになりました。今日のみことばにあるように「神は、キリストにおいてあなた方を赦してくださった」この「赦してくださった」とはどんな意味があるんだろうか。興味が出たのです。あるときイザヤ書の言葉が目にとまりました。「たとえ、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる」罪が消えてなくなるんだろうか。そんな思いを持ってあるとき新約聖書を見ると「御子イエスの血すべての罪より我らをきよめる」とのみことばがあり、自分の心の罪をイエス様は十字架にかかり、血を流して自分の心を清めてくださった。赦してくださった。そう信じたとき、心の中の裏切られた思い、憎しみ、悔しさ、悲しみすべての罪がキリストの十字架で、血潮で洗い清められた、もうもはや思い出さない。全部過去のことは忘れた。赦すことができた。」と証しされました。キリストは私たちを受け入れてくださいます。赦してくださいます。どんな過ち、罪も十字架で赦されます。
その愛をいただいて、私たちも人を赦し受け入れ愛するものとさせていただきましょう。