2023年 3/5
第一主日 聖餐礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 ルカの福音書 11章 33~36節
- :33 だれも、明かりをともして、それを穴蔵の中や升の下に置く者はいません。燭台の上に置きます。入って来た人たちに、その光が見えるようにするためです。
:34 からだの明かりは目です。あなたの目が健 やかなら全身も明るくなりますが、目が悪いと、からだも暗くなります。
:35 ですから、自分のうちの光が闇にならないように気をつけなさい。
:36 もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、明かりがその輝きであなたを照らすときのように、全身が光に満ちたものとなります。」
メッセージ概要
私たちを取り巻いているこの世には、暗いニュースが多いのですが、その解決は外側よりも私たちの内側が問題なのではないでしょうか。
35節には「自分のうちの光が闇にならないように気をつけなさい。」と勧めがあります。
この世は確かに暗いニュースが多いのですが、神様は私たちに光を与えて下さいます。それはイエス・キリストです。キリストは「わたしは世の光です。わたしに従って来る者は闇の内を歩まず、いのちの光を持つ。」と約束して下さいました。
1,光が見えるようにする
私たちはまず、自分の心の中に光をその源であるイエス・キリストを受け入れることです。心に信じることです。そうするなら、私たちの心は明るく照らされます。心が明るくなり、よろこびが内側から出るようになるのです。そして、その喜びを他の人にも分かち合うのです。
光を照らすとき、寝台の下や、升の中に入れる人はありません。おそらく上の方に置くでしょう。そうすれば、部屋全体が明るくなります。ですから、この炉の中に与えられるイエス様の喜びを、他の人にも与えることです。自分の失敗が赦された、そう信じるなら他の人の失敗や過ちも赦すことです。ただ妥協するのではなく、イエス様に赦していただいた、その愛をもって人を赦し、受け入れるならその喜びはますます、広がって行くのではないでしょうか。
2,目を健やかにする
イエス様は「からだの明かりは目です」と言われました。目は心の窓、とも言われます。目によって、その人が元気なのか、悲しんでいるのかわかることがあります。心が元気なら、目も生き生きとしています。目が曇っているなら、心も疲れているのかもしれません。目は口ほどにものを言います。私たちの心の状態を映し出す、鏡のようなものです。
ヨハネの福音書8章で罪を犯した女の人が連れてこられ、イエス様にどうするのか尋ねましたが、イエス様は「まず罪のない者が、石を投げつけるがよい」と言われました。誰も石を投げませんでした。それは、一人も神の前に「私には罪がない」と言える人は一人もいないのです。
私たちは罪を犯すと心が暗くなります。元気がなくなります。これが見つかったらどうしようと不安になります。罪がわかったら裁かれる、心が恐れにとりつかれます。
私たちの心の中にある罪を解決しなければなりません。その罪を赦して下さるのはイエス様です。私たちの罪のために十字架にかかり、血を流して罪を赦して下さいました。あの姦淫の罪を犯した女の人をもイエス様は赦されたのです。「これからは決して罪を犯してはなりません。」と言われました。罪は私たちの心を暗くするものです。体も弱ってしまいます。
私たちが元気に生きるためには、イエス・キリストによって、心の罪が赦され、わたしは世の光であると言われるキリストによって、心が輝き照らされることです。 そうするなら、私たちの心も光に満たされ、喜びに満ちあふれ、輝いて生きることができるのです。