2023年 4/2
第一主日 シュロの日 聖餐礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 ルカの福音書 22章 31~34節
- 22:31 シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。
22:32 しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
22:33 シモンはイエスに言った。「主よ。あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
22:34 しかし、イエスは言われた。「ペテロ、あなたに言っておきます。今日、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。
メッセージ概要
今日は、教会のカレンダーではシュロの日となっています。それは、イエス・キリストがロバの子の背中に乗ってエルサレムに入ってこられたとき、人々は棕櫚の葉を敷いて歓迎したのです。しかしここからキリストが十字架にかけられる受難週が始まります。
そして最後の晩餐のときに弟子たちに大切なことを語られました。それがここに出てくるイエス様の言葉「あなたの信仰がなくならないように祈った。立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」それがイエス様のペテロに託された言葉です。彼はその通りに不信仰から立ち直り、ローマにまで行き 迫害の中にある弟子たちを励ましたのです。
1,サタンの試み
なんとイエス様はペテロに、サタンがふるいにかけることが聞き届けられたと言われました。ふるいとは、籾殻と実をわけるものです。なぜこんなことを語られたのか。実は最後の晩餐のときに弟子たちは、誰が一番偉いのかと議論していたのです (24節)。それに対してイエス様は「給仕する者のようになりなさい。」(26 節)仕える者となりなさいと言われたのです。
そのためにいわば試練が与えられることとなったのです。このふるいにかけられることは容易ではありません。苦しい困難なことです。主の祈りの中でも「試みに会わせず、悪より救い給え」と祈らなければならないほど大変なことです。試みによって信仰を失うこともあります。しかし、大切なのはサタンに権限があるのではないのです。サタンは神様と対等ではありません。ここに「願って、聞き届けられた」とあります。全能の神様が聞いて、許可を与えられたのです (ヨブ 2:6)。これは旧約聖書のヨブと同じです。ヨブも試みに会いました。サタンは子ども、財産をすべて奪い、彼のからだをも重い病に至らせたのです。それでも彼は神様を信じ、勝利を得ました。病は癒やされ、2倍の祝福が与えられたのです。私たちは信仰によって勝利を得ることができるのです。
2,とりなしの祈り
イエス様は試練が与えられると同時に逃れの道も与えられることを約束されました。それはペテロの信仰がなくならないように祈られたことです。これは神様の約束です。ふるいにかけられるが、わたしはあなたの信仰がなくならないように祈っている。この祈りがあったからこそ、彼は不信仰から立ち直ることができたのです。イエス様のとりなしの祈り、それは今も私たちに与えられている祈りです。私たちのためにもイエス様は天において父なる神様の右にあって、私たちの信仰がなくならないように祈って下さっているのです。
この体験をした人は、ペテロのように他の人を励ますことができます。力を与えることができます。失敗しないことも大切ですが、失敗から立ち直ることがもっと大切なことです。私たちはこの世にいる限り、自分が弱い限り失敗するのです。でも大丈夫です。イエス様が取りなして下さり、神様は私たちを愛し、失敗を赦して下さる方です。ですから、不信仰から立ち直ったなら、することは何か。兄弟たちを力づけることです。力づけるとは、別の訳では顔の向きを固定するとありました。どこに向きを固定するのか。イエス様のほうにです。イエス様の十字架をいつも見えるようにするのです。キリストの十字架を見るならどうなるのか。第二コリント 1:6に「苦難に耐える、力を与えてくれる」と約束されているのです。ですからローマのクリスチャンたちはネロやほかの皇帝の迫害を受けてもくじけなかったのです。苦難に耐えることができたのです。それは自分の頑張り、力ではないのです。
イエス様はペテロに三度わたしを知らないと言います。」と言われました。そしてそうなりました。自分の力に頼る必要はありません。信仰は自分の努力ではありません。すべては神の力です。一切を神様にお任せすることです。箴言 3:5に「心を尽くして主に依り頼め。自分の悟りに頼るな。」とあります。自分を頼りにしない。すべてを主にお委ねしましょう。