「キリストは生きておられる」

2023年 4/23
第四主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】 ルカの福音書 24章 5~6節
24:5 彼女たちは恐ろしくなって、地面に顔を伏せた。すると、その人たちはこう言った。「あなたがたは、どうして生きている方を死人の中に捜すのですか。
24:6 ここにはおられません。よみがえられたのです。まだガリラヤにおられたころ、主がお話になったことを思い出しなさい。

 

メッセージ概要

 

 キリスト教には二つの大きなお祭りがあります。
 一つは、イエス・キリストの誕生をお祝いするクリスマスです。
 そしてもう一つは、イエス・キリストが死からよみがえられたイースターです。

 特に重要なのは、キリストが死からよみがえられたことです。他の宗教では、教祖が誕生した日はお祝いします。しかし、死からよみがえられたということは聞いたことがありません。ですから、復活された、死からよみがえられたのはイエス・キリスト以外にはおられないのです。

 しかし、復活をすぐに信じられるかというとなかなか信じられないのです。イエス様の弟子たちでさえ直ぐには信じられませんでした。また、女の人たちもそうです。

 十字架にかけられ死なれたイエス様を見届けた女の人たちも、日曜日の朝、死んだ人につける香料を用意し、墓にまで行ったのです。


1,探し求める

 人間の一つの性質は、探し求めると言うのがあります。真実を探し求める。また、永遠のものを求める。いのちを求める。

 マグダラのマリアたちは、イエス・キリストを探し求めました。その時に天の御使いたちが現れ、「どうして生きている方を死人の中に捜すのですか」と尋ねたのです。イエス様は死んではおられない。生きている、と証言したのです。

 ある人は、自分は何のために生きているのかわからない。色々捜し当てたけれども、回答を見つけられない。ついには疲れ果て、死んでしまおうと思ったときに「全て重荷を負って苦労している者はわたしの元に来なさい」と看板を見つけ、入って行った時に、キリストの救いを聞き救われた人がありました。 聖書に「求めよ、さらば与えられん」 (マタイ 7:7) という言葉があります。しかし、問題はどこに求めるかです。

 天の御使いは「死人の中に捜すのですか」と問いかけました。死んだ者の中には、永遠も、いのちもないのです。

 木や石でできた、人間が作ったものをいくら拝んでも、私たちを救うことはできません。私たちを助けることも力を与えることもできないのです。なぜならいのちがないからです。

 また、人間の思想や哲学、イデオロギーといったものも、私たちのいのちを救うことはできないのです。まさにそれは「死人の中に捜す」ようなものです。


2,主が話されたことを思い出す

 それでは、どうすれば、永遠のいのち、真理がわかるのでしょうか。私たちは手に入れることができるのでしょうか。

 それは主が語られたことを思い出すことです。私たちには、神の語られたことば、聖書があります。聖書を通して、神様が私たちに語られたことを知ることができます。

 罪人たちの手に渡され、十字架につけられ、三日目によみがえる。すなわち、人間の罪が十字架によって赦されることです。

 キリストは一つも罪を犯されませんでした。人間の非条理な仕打ちねたみによって、十字架にかけられたのです。それでも一言も恨まれませんでした。すべてを赦されたのです。十字架には人の罪をいやす力があります。人の罪を赦す力があります。その十字架によって私たちの罪はゆるされるのです。心に平安が与えられるのです。


3,キリストはよみがえられた

 そしてキリストはよみがえられました。私たちに新しいいのちを与えて下さいました。それは罪に打ち勝つ力であり、私たちに勝利の喜びをもたらすものです。

 ある方は、大きな手術の前に、イエス・キリストを信じたいと言われました。そして全てを神様にお任せになりました。心に平安をいただき、無事手術は終わったのです。

 でも、信仰は終わりませんでした。信じた心は変わらず、洗礼を受けられ、礼拝に出席されるようになったのです。キリストは生きておられる、この方が自分を癒やし、新しいいのち永遠のいのちを与えて下さったと感謝される生涯に変えられたのです。

 

最新情報をチェックしよう!