「教会のかしら」

2023年 6/11
第二主日 花の日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

礼拝動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】 コロサイ人への手紙 1章 18~20節
:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。
:19 なぜなら神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、
:20 その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。

 

メッセージ概要

 

 今日は花の日です。アメリカのマサチューセッツの教会から始まりました。子ども達が教会につながるように牧師先生が特別なプログラムを作り神様に感謝をささげ、その後、花を持って訪問し奉仕の喜びを体験することが始まりでした。日本の教会でも今日行われています。キリストの愛が現されることは感謝です。


1,教会のかしら

 そのキリストは今日、「教会のかしらである」。とパウロは伝えています。簡単に言えば、一番偉い人です。なぜなら、御子すなわちキリストによって造られ、私たちはキリストのゆえに存在している者だからです。

「死者の中から最初に生まれた方」とありますが、死に勝利された、新しいいのちに生きる最初となられたのです。この事は私たちにとって復活の希望、そして天国に行ける保証となったのです。天国に行ける方法は良いことをすることではありません。イエス・キリストを信じるこれだけです。信じることによって私たちは永遠の滅びから救われ、いのちが与えられて天国で生きることができるのです。


それ故に、キリストは、「すべてのことにおいて第一の者」となられたのです。キリストなしに教会はあり得ません。そして教会を形作る私たちはキリストによって生かされ、 キリストの働きによって活動することができるのです。すなわち今日の花の日も、お花を献げ、その花を持って訪問することは愛の行為であり、神様が喜んで下さることです。そしてその原動力となって下さるのがキリストです。神ご自身の満ち満ちたもの、すなわち愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制といったものを私たちの内に豊かに与え、そして満たして下さるのです (ガラテヤ 5 22 23)。


2,十字架による和解

 そして、キリストが私たちに豊かに与えて下さるのは「十字架による和解」です。

私たちは自分のことはよく考えるけれども、相手に対して配慮が足らないことがあります。むしろ、何か不都合なことが起こると、相手が悪い。相手の責任にしてしまいます。それはアダム・エバ以来の人間の性質・弱さです。彼らは禁断の実を取って食べてしまったとき、アダムはエバにエバはサタンに責任を転嫁しました。自分からは悪いと神様にお詫びすることはありませんでした。それ故、彼らは神様からの祝福を失ってしまったのです。


その回復を図るために、キリストは十字架に死んで下さいました。すべての罪を引き受けて十字架の上で血を流し、いのちを持って罪の償いをして下さったのです。


それによって、父なる神様すなわち全能の神様は、私たちのすべての罪を赦して下さったのです。そして、改めて私たちを受け入れて下さり、神の子―愛されるべき子として下さったのです。


この事により私たちは、失敗したとき他に転嫁することなく素直に神様に謝り、ゆるしていただくことができるのです。


また、キリストの救い罪の赦しによって、私たちはゆるされ、愛されて平和をもたらすことができるようになるのです。愛されている者は人を愛し、ゆるされている人は他人を赦し受け入れることができるようになるのです。ですから、地にあるものも、天にあるものもすべてが、キリストによって、和解することができ、平和が訪れるのです。私たちはキリストにあって、平和を作り出すものとさせていただきたいと願います。

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