2023年 9/17
第三主日
召天者合同記念礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
テモテへの手紙 第一 6章17~19節 - :17 今の世で富んでいる人たちに命じなさい。高慢にならず、頼りにならない富にではなく、むしろ、私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置き、
:18 善を行い、立派な行いに富み、惜しみなく施し、喜んで分け与え、
:19 来たるべき世において立派な土台となるものを自分自身のために蓄え、まことのいのちを得るように命じなさい。
メッセージ概要
今日は召天者合同記念礼拝ということで、先に天国に召された方々を偲び、ご家族の皆様にも出席していただき感謝です。天国に召された方々は死んで滅んだのではなく、そのたましいは天に移され、天国において礼拝を献げておられます。
私たちは今、地上にあって礼拝していますが、やがての時ともに顔と顔を合わせて礼拝するときがあるのです。その時に備えて今私たちは何をすべきか聖書を見ていきたいと思います。
1,神に望みを置く
まず大切なのは神に望みを置くことです。
「頼りにならない富」とありますが、この世の富は実は当てにはなりません。
私たちは働くことによって富を得ることができます。確かにお金で必要な物は買えます。しかしそれによって私たちが幸せになれるかというとそうとは限らないのです。
富裕な家が強盗に狙われたり、遺産相続のことで家族が争う等のことを聞いたりします。この世の富が私たちに安らぎや幸せをもたらせるのではないのです。
それとは対照的に聖書に出てくる天地創造の神は、私たちにすべての必要を与え満たして下さる方です。お金は使うものです。使うと無くなります。限りがあるのです。
しかし神様はなくなりません。しかも、すべての物を与えて楽しませて下さると聖書にあります。私たちを楽しくして下さるのです。
初めに人間が造られたとき、神様は祝福され「増えよ満てよ、地に満ちよ」といわれ豊かになりました。この神様に従うなら豊かになれるのです。
2,喜んで分け与える
神の豊かさは何か、それは喜んで分かち合えることができることです。
インドの聖女マザー・テレサは、コルカタの貧民街で貧しい少年に出会い、なにがしかの金で米を買い与えました。ところが、その半分を持って出ていったのです。その先にはさらに貧しい家族がいて彼は分けてあげたのです。彼女は感動し、生涯をその奉仕にささげました。神様は愛の神です。私たちを愛し豊かにして下さいます。その豊かさとは「惜しみなく施し、喜んで分け与える」愛を与えて下さるのです。愛とは、自分に与えられている物を惜しみなく喜んで与えることができることです。
3,来るべき世に備える
19節に「来るべき世に…土台となるものを…蓄え」とありますが、私たちは来るべき世に向かっています。今生きてこの世に住んでいますが、来るべき世が来るのです。
私たちは神の前に出るときがあると聖書は言っています。そして、その後永遠に住むところが決まるのです。そのことを決めるのは私たちではなく、創造主である神様が決められるのです。
そして私たちに必要なのは土台です。その土台となるのは「まことのいのち」です。そのいのちがなければ、天国で生きることはできないのです。先に召された方々は、そのいのちを見い出されたのです。信じることができたのです。
どのようにして、まことのいのちを得ることができるのか。イエス・キリストを信じることによって「永遠のいのち」を得ることができるのです。
「神はそのひとり子を賜ったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が永遠のいのちを得るためである」とあります。
神様は、私たちが永遠のいのち得て天国で生きることを願っておられます。
その条件は難しいことはありません。いのちを与えて下さる救い主イエス・キリストを信じて心に受け入れることです。すべてをお任せしてキリストに従うことです。それによって永遠のいのちが与えられ、来るべき世すなわち天国に入ることができるのです。