2023年 10/22
第四主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師
- 【聖書】
マルコの福音書 4章14~20節 - :14 種蒔く人は、みことばを蒔くのです。
:15 道端に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばが蒔かれて彼らが聞くと、すぐにサタンが来て、彼らに蒔かれたみことばを取り去ります。
:16 岩地に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れますが、
:17 自分の中に根がなく、しばらく続くだけです。後で、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
:18もう一つの、茨の中に蒔かれたものとは、こういう人たちのことです。みことばを聞いたのに、
:19この世の思い煩いや、富の惑わし、そのほかいろいろな欲望が入り込んでみことばをふさぐので、実を結ぶことができません。
:20良い地に蒔かれたものとは、みことばを聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人たちのことです。」
メッセージ概要
季節も秋となり、豊かな実りを楽しむときとなりました。私たちの人生そして日々の生活も実り豊かなものとさせていただきたいと思います。
イエス・キリストは種まきの話をされました。それは、私たちがどのようにすれば、生活が豊かに幸せになれるかを言われたのです。たとえで語られました。
たとえで語られる奥には真理があります。宝が隠されているのです。
宝を発見すると大金持ちになります。しかし聖書の真理を発見すると大金持ちどころか、一番幸せな人になることができるのです。
種とは「みことば」のことです。
みことばとは神のことば、人はパンによって生きているのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉によって生きるのである。と言われています。人間はやがて、年をとります。そして死ぬときがあります。私はそんな人に大勢会うことができました。中には胃瘻で穴を開けて栄養を入れて、最後は点滴だけになった人もいました。でもその人は、自分は心に栄養を入れてもらっています。何よりも、永遠のいのちを与えていただけて、天国の希望を持っていることが一番の幸せです。と言っておられた方がありました。
やはり、人間はパンだけで生きるのではなく、神のことばによって希望が持てると実感しました。
神様の言葉が心に与えられると、勇気がわいてきます。生きる力が出てきます。そして、種が蒔かれることが出てきますが、蒔かれる地は私たちの心を意味しています。2000年前のユダヤでは、種を先に蒔いて、その後で畑に整地するような耕作をしたようです。ですから、種は色んなところに飛んでいきました。
私たちを幸せにしない三つの妨げがあります。
①15節には、サタンが来てみことばを取り去るとあります。今、ラジオやテレビでもみことばが伝えられています。しかし神様に敵対するサタンは、神のみことばを奪い、私たちを神様から離そうとしています。
②17節には、「困難、迫害」とあります。苦しいことやつらいこと、また意地悪されると自分はだめだ、諦めてしまうことです。
③19節には、世の思い煩い、どうしたら自分の益になるだろうか、この世の富の惑わし、この世の誘惑があります。そして人間の欲望です。そうしたものが心を塞いでしまって、実が実らないのです。
ところで実とは何でしょうか。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」 (ガラテヤ5:22,23) 心の豊かさです。
20節に「よい地」とありますが、よく耕され、養分が行き渡った土地です。簡単に言えばよい心です。
私たちは初めから、よい心ではないと思います。素直でない、へそ曲がりのところもある。人に意地悪したり、親切にできない。私たちはそのようなものです。聖書では、罪人と言っています。ところがそんな私たちを変えて下さる人がいます。イエス・キリストです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリ 5:17)
キリストが私たちの心を新しく造り変えて下さるのです。そして私たちに、聖書―みことばの種を蒔いて、心を豊かにして下さいます。
私たちの心を豊かにして下さるように祈り求めましょう。