2024年 1/7
第一主日 新年聖餐礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
詩篇 102篇 11~18節 - :11
私の日は伸びていく夕影のようです。私は青菜のようにしおれています。
:12
しかし 主 よあなたはとこしえに御座に着いておられます。あなたの呼び名は代々に及びます。
:13
あなたは立ち上がりシオンをあわれんでくださいます。今やいつくしみの時です。定めの時が来ました。
:14
まことにあなたのしもべたちはシオンの石を喜びシオンのちりをいとおしみます。
:15
こうして国々は 主 の御名を地のすべての王はあなたの栄光を恐れます。
:16
なぜなら 主 はシオンを建て直しその栄光のうちに現れ
:17
窮した者の祈りを顧み彼らの祈りをないがしろにされないからです。
:18
このことが後の世代のために書き記され新しく造られる民が 主 を賛美しますように。
メッセージ概要
この詩篇はリバイバルの詩篇と呼ばれています。なぜなら神様は必ず回復させて下さるとの約束があるからです。
1,弱さを覚えるとき
私たちはいつも健康であれば幸いです。しかしときには弱くなることがあります。私もコロナに感染しました。12 月25 日に陽性と判明しました。体が弱くなると心も弱くなります。
11節に「私は青菜のようにしおれています」とありますがまさにその通りです。元気がなくなりしおれてしまいます。
私たちは元気になりたい、良くなりたいと願います。また神様に祈ります。しかしなかなか良くならない、時間がかかることもあります。どうすれば良いのか。
それは祈ることです。この詩篇には題がついています。「苦しむ者の祈り。彼が気落ちして、自分の嘆きを主の前に注ぎだしたときのもの」とあります。ですから、私たちの苦しみ、気落ちすることを神様の前に注ぎ出すことです。苦しみを祈ることです。嘆きを言うことです。
2,神のあわれみ
神様はあわれみ深い方です。17節をみれば「窮した者の祈りを顧み 彼らの祈りをないがしろにされない」と約束されているのです。ですから私たちは苦しいとき嘆いて祈ったら良いのです。心にあるものを注ぎだしてドントン神様にお願いするのです。
神様は、天の御座におられます。しかしじっとしておられる方ではないのです。13節を見れば、「立ち上がり、シオンを憐れんで下さいます。」私たちを見かねてあわれみ、立ち上がって下さるのです。ルカ15章の放蕩息子も、父親は息子を見るなり駆け寄っていっているのです。神様は愛の神です。私たちを放っておかれるような方ではありません。必ず回復を与えて下さいます。エレミヤ29:11には「わざわいではではなく平安と、将来、希望を与える」と約束されています。
ですから青菜のようにしおれていても大丈夫です。慈しみのとき定めのときが必ず来ます。
3,心が新しくされる
18節には不思議なことばが出てきます。「このことが後の世代のために」すなわち私たちのためです。なぜ苦しみにあった者が神様によって回復されるのか。私たちが知るための者です。そして私たちも同じようにして回復できるのです。
新しく造られた民とあります。直接的にはバビロン捕囚から帰還した人々です。その人たちは、神様の赦し導きをいただいてシオンすなわちエルサレム、神の都を回復する人たちです。しかし彼らは帰ってきて泣いたのです。なにもない。神殿も城壁も崩されたまま。しかも周りには敵が多くおり、再建を邪魔する。途方に暮れたのです。しかしネヘミヤやエズラは神の御ことばを持って彼らを励ましました。そして彼らは新しい力を受けました。それが新しく造られた民、心が全く新たにされたのです。
なんと14節を見ると、しもべたち―イスラエルの民は、シオンの石を喜びシオンのちりをいとおしみます。とあります。これはネヘミヤ44:2 に「焼けてしまった石を瓦礫の山の中から拾って、生き返らせようというのか」という嘲りのことばでした。しかし、新しい民はそれを喜び、いとおしんだのです。なぜなら彼らは全能の神に愛されている。約束どおりバビロンから解放された。主が共におられる。その信仰が彼らの力となり、神殿もエルサレムも再建されたのです。
「主はシオンを建て直し、その栄光のうちに現れ」、とありますが、周りの国々、王たちは神の栄光を見て恐れたのです。
ですから、私たちも同じ神の栄光に与ることができるのです。私たちも新しく造られた民です。それはⅡコリント55:17 「誰でもキリストのうちにあるなら。その人は新しく造られたものである。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなったのである」私たちも、新しくされます。キリストの復活の力によって私たちは新しくされ、嘆きや悲しみ苦しみが過ぎ去り、すべては新しくなって、主を賛美する者となるのです。