2024年 1/14
第二主日 礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
コロサイ人への手紙 2章18~19節 - :18
自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者が、あなたがたを断罪することがあってはなりません。彼らは自分が見た幻に拠り頼み、肉の思いによっていたずらに思い上がって、
:19
かしらにしっかり結びつくことをしません。このかしらがもとになって、からだ全体は節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。
メッセージ概要
コロサイの手紙が書かれた目的は、イエス・キリストは神ではないと否定する人たちがいたことです。現代でも統一協会やエホバの証人は、イエス・キリストは神ではないと言っています。明治の中頃でも、新神学・自由主義神学が入ってきて、これもキリストの神性を否定して、信仰が弱くなり伝道の力が弱くなってしまった時期がありました。
その時に、バックストン師ウイルクス師が英国より使わされ、クリスチャンの救いときよめの恵みが明確にされ、聖会が各地で催され、伝道が活発化しました。
ですから、私たちも生きた信仰そして間違った教えに対して見分ける力が与えられる必要があります。
何年か前に、「珍味をいりませんか」と若い人が訪ねてきました。どこから来たのですか、と尋ねると教会から来ました。と答え、「ここも教会です」。と言いました。統一協会から来たのです。
1,異なった教え
自己卑下や御使い礼拝を喜んでいる者とありますが、昔の訳では「謙遜」となっていました。外面をとりつくものであり、見せかけのものです。またユダヤ人はそれぞれの守護天使の存在を信じ、礼拝する者もいたようです。もちろん聖書にも、ガブリエルやミカエルのような天使の名前が出てきますし、存在を否定することはできません。しかし、それを礼拝してはいけないのです。クリスチャンは真の神以外に礼拝をしません。ですからそのような人たちに批判されないように、しっかりとした信仰を持つ必要があります。
2,キリストに結びつく
それでは、しっかりとした信仰とは何か。
一言で言えば、キリストに結びつくことです。
キリストに繋がっている。キリストは教会のかしらである、とパウロは言っています。
異端の人たちはもちろん、キリストに結びついてはいません。キリストの存在を否定はしませんが、キリストに従う生活をしないのです。反って、18節にあるような、自分以外他の人が見ることのできない幻想に依り頼んだり、この世的なものに惑わされないように注意しなければなりません。
私たちの拠り所は神のことば、すなわち聖書であり、キリストが真の神、救い主であると信じる信仰です。そして私たちの大元はイエス・キリストご自身です。
キリストは私たちのかしらです。そしてお互いはキリストの体を作り上げるものです。お互いがキリストの手であり足なのですそして、キリストの愛をいただいて、お互いが支え合っているのです。
ですから、誰が偉いとか一生懸命やっていると言うのではなく、一体であり、共存しているのです。蟻の中でも働き蟻がいますが、働かないものもいるそうです。しかも、そんな蟻も仲間に餌をもらって生きているそうです。
私たちはキリストの愛によってつなぎ合わされ、天の神様は空の鳥を養われ、私たちをも育てて下さいます。そして私たち自身はキリストに似た者、聖霊の働きの実を心にいただいて豊かに成長して行くことができるのです。
そのことを私たちは喜び、感謝しようではありませんか。