2024年 1/28
第四主日 伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
コリント人への手紙 第一 16章13~14節 - :13
目を覚ましていなさい。堅く信仰に立ちなさい。雄々しく、強くありなさい。:14
一切のことを、愛をもって行いなさい。
メッセージ概要
新しい年2024年が始まって1ヶ月になります。正月には思わぬ 大地震が起こりました。今も大変な中で生活をしておられます。
困難な中で生きるためには何が一番大切か考える必要があります。
1,目を覚ます
聖書に「目を覚ましていなさい」とあります。これは徹夜して頑張りなさいという意味ではありません。それは心の目を覚ますことです。見るべきものを見なさいという意味です。
何を見るのか、「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」(ヘブル12:2) キリストを見るということです。キリストを見ながら生活するそうするなら、力が与えられ回復し豊かになっていけるのです。
東日本大震災のとき津波で会堂がすべて流された教会がありました。しかしそこに十字架を立て被災した人たちと共に礼拝を献げ、後に会堂も与えられ、救われる人たちも起こされた教会があります。
私たちが意気消沈しうなだれる中に、十字架のキリストを見上げるときに慰めが与えられ、力を得て立ち上がることができるのです。
2,信仰に立つ
アメリカの大衆伝道者であったムーディは「私は無神論を唱える人の中に、たった一人も『私は幸せだ。』という人に会ったことがない」と言ったそうです。
なるほど、物事をいつも否定的に悲観的に考えている人はあまりニコニコしていないと思います。でも、神様がおられて私を守ってくださる。必要な物はすべて与えてくださる、と信じ切っている人は、おおらかで心のぬくもりを感じさせる者です。
この手紙を書いたパウロもかつては、キリストを信じる人を迫害する人でした。非常に攻撃的でした。ところがキリストを信じた途端、心は変えられたのです。愛の人になりました。人を責めたり、暴力を振るうことがなくなりました。それどころか、暴力を受けても苦しめられても、相手を罵ったり、悪口を言ったり、自分はかわいそうな人間だとか、だめな人間だとは言わなくなったのです。キリストは彼の心を変えられました。
なぜなら、彼は復活したキリストに出会ったからです。それによって人生が変わりました。キリストと交わることにより人生変わったのです。
私たちはキリストを目で見ることはできません。しかし聖書を通してキリストの姿を見ることができます。信じることができます。
弟子のトマスも見ないと信じられないと言いましたが、復活のキリストに会い、「わたしの手に指を入れなさい。脇腹に手を入れなさい。」と言われ、トマスは「わが主よ。我が神よ」と告白し、「見ないで信じる者は幸いである」と励まされ、彼はインドまで出かけて行って伝道しました。
3,キリストの愛に生かされる
「愛をもって行いなさい」とパウロは言いましたが、私たちの愛は、打算的です。
自分を愛する人を愛することはできても、自分を憎む人は愛せません。しかし、キリストは自分の敵を十字架で赦しました。相手を殺すのではなく、自分が十字架に死んで敵意を、憎しみを、怒りを、悲しみを、十字架の上で赦されたのです。
私たちは人を赦すことはできません。しかし、十字架には力があります。敵意を滅ぼし、和解する力を与え、人を赦し、愛することが可能になるのです。
「十字架は、滅び行く者には愚かであるが、救いにあずかる私たちには神の力である」(Ⅰコリント1:18)
この十字架の愛の力を与えていただいて、喜んで愛するもの、苦しみの中にも神様に愛されているのだと思える。この信仰を持って生かしていただきたいと思います。