「キリストの守り」ピリピ 4章4~7節

2024年 4/7
第一主日 聖餐
礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】
ピリピ人への手紙 4章4~7節
:4
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
:5
あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。
:6
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
:7
そうすれば、すべての理解を超えた神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。

 

メッセージ概要

 

 先週はイエスキリストがよみがえられた、復活をお祝いするイースターでした。「キリストはここにはおられません。よみがえられたのです」と御使いは伝えましたが、キリストは今、天にあって私たちを助けて下さいます。

 それではどのようにして私たちを助けて下さるのでしょうか。

 

1,喜びが与えられる

 私たちは毎日をどのように過ごしているでしょうか。楽しく過ごすのと、つらく悲しく過ごすのとどちらがよいでしょうか。パウロは、牢獄にあってこの手紙を書きました。この手紙で繰り返し出てくることばは「喜び」です。

 もし、彼自身の心に喜びがなければこのことばは出てこなかったと思います。彼自身が喜んでいた。たとえ牢獄の中にあろうが、自分が裁判で裁かれることがあろうが、彼の心には湧き出てくる喜びがあったのです。それは、外側からくるものではなく神様から与えられた心の中にある喜びです。

 それは、死の中からよみがえられたイエス様が彼の心の中に働かれ、与えられるのです。7節には「キリスト・イエスにあって」とありますが彼の心の中にはイエス様がおられたのです。ですから、私たちも信仰を働かせるなら同じ喜びを与えていただくことができます。「いつも主にあって」、それはいつでもどこでもどんなときにもキリストが守ってくださるのです。

 その結果として心が寛容になるのです。人を許せることができるようになるのです。「寛容な心が、すべての人に知られるようになる」とはその人の中から喜びがあふれ出てくる。ですから、少しの過ちや失敗も許すことができる。寛容な心となれるのです。

 主は近いとは二つの意味があります。一つは、側(そば)におられると言うことです。キリストが側(そば)におられる。ダビデは、「私は常に私の前に主を置いた」と言いました。イエス様の前に生きる。生活する。そのことを実践して、いのちを狙うサウロを許すことができたのです。たとえ自分のいのちがとられようとしても彼を殺すことはなかったのです。それ故に彼は人からも信頼され、神様に豊かに祝福されたのです。


2,思い煩いを知っていただく

 6節には「何も思い煩わないで」とあります。私たちは心配します。思い煩いの原因はどこにあるのか。神様から離れてしまうことです。神様を見失ってしまうことです。進むべき道が分からなくなってしまう。どうしたらよいか分からなくなる状態です。どうすればよいのか。「祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」とパウロは語っています。自分の思い煩っていることを神に知っていただく。祈ることです。自分の心を明け渡し、神様に語ることです。お委ねすることです。お任せするのです。

 そうすればどうなるのか。「神の平安が、あなたがたの心と思いをキリストにあって守って」くださるのです。

 私たちが思い悩み、不安に押しつぶされそうになるとき、神様に祈り、知っていただき、そしてキリストが私を守ってくださる。そう信じ、感謝して、喜びに満たしていただきたいと思います。

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