「弱いときこそ強い」Ⅱコリント12章7∼10節

2024年 6/23
第四主日 伝道
礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】
コリント人への手紙 第二 12章7~10節
7:
その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高慢にならないように、私を打つためのサタンの使いです。

8:
この使いについて、私から去らせてくださるようにと、私は三度、主に願いました。

9:
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。

10:
ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 

メッセージ概要

 

パウロはキリストに反対する人でしたが、キリストに出会い、人生が全く変えられました。

 

1,人間の弱さ

 弱い人に「自分のことは自分でしろ」と言う人がいます。しかし生まれつき障がいがある人に、責任を問えるでしょうか。

 筋ジストロフィーと脳性麻痺の方が「花も私も創られたもの」という詩を書き救われた喜びを「こうして字が書ける 食事ができる ああ神はいましたもうハレルヤ ただ神をあがむのみ」と歌いました。

 弱さを嘆くのではなく、その中に神様のあわれみが与えられ、慰め、励ましが与えられるのです。

 

2,罪の弱さ

 「人間の最大の愚かさは自分の罪がわからないことだ。」とある人は言いました。

 ルカの福音書15章で放蕩息子が一文無しになったとき自分の罪に気がついたのです。彼は帰り「お父さん、悪かった。神様にも罪を犯しました」と謝りました。父親は、死んでいたのが生き返ったと喜んだのです。

 パウロもその愛に満たされました。キリストの愛の中に、困難をも喜ぶ、自分の弱さ愚かさを誇れる者になったのです。

 私たちもキリストの力によって、弱さを隠す者ではなくキリストの愛を現す者にさせていただきましょう。

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