「献げる恵み」Ⅱコリント8章1∼7節

2024年 6/30
第五主日 一般
礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】
コリント人への手紙 第二 8章1~7節
1:
さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。

2:
彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。

3:
私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、

4:
聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました。

5:
そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。

6:
それで私たちは、テトスがこの恵みのわざをあなたがたの間で始めたからには、それを成し遂げるようにと、彼に勧めました。

7:
あなたがたはすべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちからあなたがたが受けた愛にもあふれています。そのように、この恵みのわざにもあふれるようになってください。

 

メッセージ概要

 

教会で私たちは「献金」をお献げします。

1,神の恵み

 教会はキリストの体であると言われます。実際は教会の建物があり礼拝堂は献金で建てられました。神様を信じる者が献げて建ったのです。教会は信じる者の集まりです。信じる者を用いて神様は宣教のわざをされます。

 マケドニアの教会も小さくても「満ちあふれる喜び」があり、激しい試練の中にあっても「あふれ出て」惜しみなく施す心がありました。

 

2,恵みのわざにあふれる

 パウロはコリントの教会もガラテヤの諸教会のように「満ちあふれる喜び」「愛にもあふれ」「恵みのわざにもあふれるように」と願っていたのです。「恵み」とは受け取る資格がないのに与えられる「恵み」です。「キリストの恵みを知っています」とパウロは言いました。主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。賛美歌121番には「すべてのものを あたえしすえ、死のほかなにも むくいられで、十字架の上に あげられつつ、敵をゆるしし この人を見よ」と歌っています。

 十字架は「神の自己破産だ」と言った人もいます。私たちの罪ゆえに主は死んで下さった。その愛の応答が「恵みのわざ」であり、キリストにお献げする献金ではないでしょうか。5節に「神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ」とありますが、私たちも十字架の主の御愛に応答して、献げる者とさせていただきましょう。

 

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