10/6「キリストの内にある思い」 ピリピ 2章1∼11節

2024年 10/6
第一主日 聖餐
礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】
ピリピ人への手紙  2章1~11節
1:
ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、

2:
あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。

3:
何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。

4:
それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。

5:
キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。

6:
キリストは神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、

7:
ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、

8:
自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。

9:
それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。

10:
それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、

11:
すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。

 

メッセージ概要

 

 パウロは獄中にあって手紙を書きピリピの人たちを励ましました。


1,喜びを満たす

 パウロはピリピの人たちに、「私の喜びを満たして下さい」とお願いしています。パウロの喜びとは「愛の心」を持つ、心を合わせ、思いが一つとなることです。「キリストにあって」という言葉はキリストによる励まし、愛の慰めが与えられることです。それが可能になるのが「御霊の交わり」、すなわち御聖霊が働いて彼らは一つとなれたのです。

 教会に必要なのは、人間的な交わりやヒューマニズムよりも、御霊の交わり、キリストにある励まし、愛の慰めが最も必要です。心が満たされるなら「他の人のことも顧みる」ことが可能となるのです。

 

2,キリストの心

 パウロはキリストの内にある思いを抱きなさいと勧めています。その心とは

①神としてのあり方を捨てた。神としての地位・栄光・見返り等一切を捨てられたのです。

②ご自分を空しく低くし十字架の死にまで従われた。パウロも「私はキリストともに十字架に付けられた。」と証しします(ガラテヤ2:19)。

 

3,神に栄光を帰す

 十字架の死にまで従われたキリストを父なる神は高く上げられました。すべての者が膝をかがめて「イエス・キリストは主です」と崇めるときが来るのです。

 私たちも常に心の中で「イエス様は私の主です」と告白し御前にへりくだり栄光を神に帰す者とさせて頂きましょう。

 

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