2025年 1/12 第二主日
主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
コリント人への手紙 第一 1章10~17節 - 10:
さて、兄弟たち、私たちの主イエス・キリストの名によって、あなたがたにお願いします。どうか皆が語ることを一つにして、仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致してください。11:
私の兄弟たち。実は、あなたがたの間に争いがあると、クロエの家の者から知らされました。
12:
あなたがたはそれぞれ、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケファに」「私はキリストに」と言っているとのことです。
13:
キリストが分割されたのですか。パウロがあなたがたのために十字架につけられたのですか。あなたがたはパウロの名によってバプテスマを受けたのですか。
14:
私は神に感謝しています。私はクリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けませんでした。
15:
ですから、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたとは、だれも言えないのです。
16:
もっとも、ステファナの家の者たちにもバプテスマを授けましたが、そのほかにはだれにも授けた覚えはありません。
17:
キリストが私を遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を、ことばの知恵によらずに宣べ伝えるためでした。これはキリストの十字架が空しくならないようにするためです。
メッセージ概要
様々な人が教会に集っていますが大切なのは「キリストにあって一つ」になることです。
1,一致の問題
パウロはコリントの人たちに「仲間割れせず、同じ心、同じ考えで一致する」ことを願いました。私たちは個性があり、好みも違います。しかしキリストを信じる信仰によって一つとなることが可能です。なぜなら、私たちの救いはイエス・キリストの十字架にあるからです。キリストによって救われた人が集まっているのが教会です。
2,キリストがかしら
パウロはあなたがたの間に争いがあると指摘しました。12節で「パウロにつく」「アポロにつく」「ケパすなわちペテロにつく」と言う人たちがいたのです。神様はご自身のみこころを行うことを喜ばれます。
教会のかしらはキリストであり、私たちはその枝、手足であり、キリストに用いられる者です。キリストにつながって私たちは共に生き、教会は活動ができるのです。
3,福音を宣べ伝える
パウロは「キリストが私を遣わされたのは、バプテスマを授けるためではなく、福音を、ことばの知恵によらずに宣べ伝えるためでした」と語っています。
私たちの使命は、福音― イエス様の十字架と復活を伝える。罪の赦し伝えることが第一です。教会(エクレシア)はキリストに召された者の集まりです。私たちは何よりもキリストの救いを伝える者とさせて頂きたいと思います。