2025年 6/22 第四主日
伝道礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
ヨハネの福音書 15章4~5節 - 4:
わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中にとどまります。
枝がぶどうの木にとどまっていなければ、自分では実を結ぶことができないのと同じように、あなたがたもわたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。
5:
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。
メッセージ概要
キリストは「わたしにとどまりなさい。」と言われます。その目的は何か。「その人は多くの実を結びます。」という約束があるからです。
1, キリストに接ぎ木される
キリストにとどまるとは、いわばキリストに接ぎ木される事です。キリストは「良い実は良い木になる。悪い木に良い実はならない。実によってその木がわかる。」と言われました。
私たちは良い実を実らせているでしょうか。渋柿はいくら世話をしても甘い実をならせることはできません。しかし、一つだけ、甘い実を結ぶ方法があります。接ぎ木をすることです。
2, キリストが実を結ぶ
私たちも自分の人生、ちっとも良い実が実らない。自分が不幸なのは他人のせいにしてしまうことがあるのではないでしょうか。
実は、自分を不幸にしているのは、自分自身です。自分が渋柿であることを知らなければなりません。
キリストは身を切って、血が流れる十字架の切り口を持って「わたしにつながりなさい」と言われます。
私たちも自分の罪を認めてキリストに繋がり、キリストにとどまるなら、キリストを信じるなら、キリストは私たちの心の中にとどまって下さり、キリストが実を結んで下さるのです。
私たちが実を結ぶ必要はないのです。すべて、キリストが私たちのうちにあって、愛や喜び、平安の実を豊かに実らせて下さいます。(ガラテヤ5:22,23)