2025年 6/29 第五主日
主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
ピリピ人への手紙 2章13~17節 - 13:
神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
14:
すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
15:
それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
16:
いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
17:
たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
メッセージ概要
パウロはローマの獄中でこの手紙を書きましたが彼は喜びに満たされていました。
1,神は心の内に働かれる
神様を見ることはできませんが、心の内に神がおられることを信じることができます。12年間長血を患っていた女性も「あの方の衣の房にでも触れば、癒やされる」と信じて触れて癒やされました。キリストは彼女に「あなたの信仰があなたを救ったのです。達者で行きなさい」と言われました。
ジョン・ウエスレーは先行的恩寵と言いましたが、神様が先に恵みを与えて下さいます。事を行なわせるのは神様です。神様のみこころ、許しなくして、何事もなすことはできないのです。
2,世の光として輝く
パウロがピリピのクリスチャンに願ったことは「世の光として輝く」ことです。この輝きは「喜び」です。何でも、喜び、感謝する。そのことをパウロは願ったのです。
「純真」とは混じりけがないという意味があります。私たちも試練を通して、キリストを信じる信仰がますます精錬され、純粋なものとなるのです。また、傷のない神の子どもとありますが、私たちの傷をキリストは十字架によって癒やして下さいます。
十字架で流された血潮によって私たちの心はきよめられます。それが、純真な傷のない神の子どもの姿なのです。
神様は私たちのうちに働いて、私たちを世の光、キリストに従う者、喜びに輝く者として下さるのです。