2025年 7/13 第二主日
主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
コリント人への手紙 第一 2章11~16節 - 11:
人間のことは、その人のうちにある人間の霊のほかに、いったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。
12:
しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。
13:
それについて語るのに、私たちは人間の知恵によって教えられたことばではなく、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばによって御霊のことを説明するのです。
14:
生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。
15:
御霊を受けている人はすべてのことを判断しますが、その人自身はだれによっても判断されません。
16:
「だれが主の心を知り、主に助言するというのですか。」しかし、私たちはキリストの心を持っています。
メッセージ概要
猛暑が続き弱さを覚えますが、神様は私たちの心を強めくださいます。
1,霊的な存在
私たちには心があります。しかし人の心は分かりませんし、神のことについては「神の霊」によらなければ分からないのです。
この世で立派でも、自分は天国に入れる資格があると言える人はどれほどいるでしょうか。「御霊によって新しく生まれなければ神の国に入れない」のです(ヨハネ3:5)。
2,神の御霊に属する
御霊― 聖霊によって 「神が私たちに恵みとして与えてくださったもの」(12節) 救いが、分かるのです。また御霊によって罪人を赦す神の愛は、聖書を通してわかるのです。
3,キリストの心を持つ
14節と15節の「判断する」とは、裁判で調べるという意味があります。
聖書で言えば最後の審判― 神のさばきです。そこで私たちのすべては調べられ、天国に入るか、滅びに行くか永遠が決まります。
主イエスは 「主よ、主よと言うものがみな天国に入るのではなく、父の御心を行う者が入るのである」(マタイ7:21) と言われました。
神の御心とは、自分の罪を認めキリストの十字架は私の罪のためだったと信じることです。罪の悔い改めがあるなら、誰からも裁かれません。しかも神様の御心が分かるようにして頂けるのです。それが「キリストを心に持つ」心の中にキリストがおられることになるのです。聖霊によってこの恵みを深く味わいましょう。