2025年 8/17 第三主日
主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
へブル人への手紙 4章14~16節 - 14:
さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
15:
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。
罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。
16:
ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
メッセージ概要
礼拝は恵みの御座であり、神様が私たちに祝福を与えて下さる大切なところです。
1,偉大な大祭司
講壇に十字架がありますがシンボルであって拝むものではありません。礼拝するのは主なる神、神の子イエスです。今は神の右の座にあり私たちを執り成して下さいます。
救い主イエスは神が人となられた方です。それは私たちが神様に近づくためでした。
キリストは神の仲保者、偉大な大祭司です。私たちの罪・過ちを十字架でゆるしてくださり、今も天で執り成して下さるのです。
2,信仰を堅く持つ
神様の祝福を受けるのに必要なのは信仰です。常に信仰を堅く持つことです。
キリストは私たちと同じ肉体を持ち、私たちの弱さに同情できる方です。苦しみの極限は十字架でした。それでも罪を犯されませんでした。それは赦すためでした。
私たちのすべての罪を見に負われ、身代わりとなって死なれ、死の中からよみがえられました。キリストの十字架によって私たちは苦しみ滅びから解放され神の祝福に与れるのです。
3,恵みの御座に近づく
大胆に神の御座に近づくことは、ある意味命がけです。しかし神の御座に近づくなら神様の「あわれみ」「恵み」「折りにかなった助け」が与えられます。
私たちも大胆に、エリコのバルテマイのように(マルコ10:17)イエス様に近づき「私を憐れんで下さい」と叫び求め、あわれみと恵み、折りにかなった助けを与えていただきましょう。