2025年 9/28 第四主日
主日礼拝(講壇交換)
ー与那覇 博師ー
グレース宣教会羽曳野チャペル
- 【聖書】
イザヤ書 40章27~31節 - 27:
ヤコブよ、なぜ言うのか。イスラエルよ、なぜ言い張るのか。「私の道は主に隠れ、私の訴えは私の神に見過ごされている」と。
28:
あなたは知らないのか。聞いたことがないのか。主は永遠の神、地の果てまで創造した方。疲れることなく、弱ることなく、その英知は測り知れない。
29:
疲れた者には力を与え、精力のない者には勢いを与えられる。
30:
若者も疲れて力尽き、若い男たちも、つまずき倒れる。
31:
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。走っても力衰えず、歩いても疲れない。
メッセージ概要
イザヤ40章27~31節は、疲れ果てた者への神の励ましです。私たちは職場や家庭、奉仕や子育てで「もう力が残っていない」と思うことがあります。当時のイスラエルの民も国を失い、「主は私の道を見過ごされた」と嘆きました。しかし神は「慰めよ、わたしの民を」と語られます。神が無関心なのではなく、むしろ深く心を向けておられるのです。ここで語られる二つの鍵は「主を待ち望む」ことと「新しくされる力」です。
第一の「主を待ち望む」とは、ただ受け身で待つことではなく、積極的に神に期待して祈り、御言葉を受け取り、信頼して休むことです。孤立感が最も心を疲れさせますが、神は私たちの現実をご存じです。「目を高く上げよ。だれがこれらを創造したかを見よ」(40:26)。視線を環境や自分の力から、創造主へ向け直すとき、力の入り口が開きます。
第二に「新しくされる力」です。私たちの力は有限ですが、神の力は尽きません。「新しく力を得る」とは、古い衣を脱ぎ、新しい衣を着るように、自分の力と神の力を取り替えることです。聖書はそれを三つの恵みで表します。
「鷲のように翼を広げて上る」――御霊の風に乗り、高く引き上げられる恵み。「走っても疲れない」――多忙な時期に持久力を与えられる恵み。「歩いても弱らない」――日常の一歩一歩を支える恵み信仰生活はこの三段階を繰り返します。高揚の時、忙しさの時、地道な日常――どの状況にも神は力を備えてくださいます。
だからこそ私たちは「もっと頑張る」のではなく、「主を待ち望む者は新しく力を得る」約束に生きるのです。