2026年 2/1(日) 第一主日
聖餐礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
マタイの福音書 12章1~8節 - 1:
そのころ、イエスは安息日に麦畑を通られた。弟子たちは空腹だったので、穂を摘んで食べ始めた。
2:
するとパリサイ人たちがそれを見て、イエスに言った。「ご覧なさい。あなたの弟子たちが、安息日にしてはならないことをしています。」
3:
しかし、イエスは言われた。「ダビデと供の者たちが空腹になったときに、ダビデが何をしたか、
4:
どのようにして、神の家に入り、祭司以外は自分も供の者たちも食べてはならない、臨在のパンを食べたか、読んだことがないのですか。
5:
また、安息日に宮にいる祭司たちは安息日を汚しても咎を免れる、ということを律法で読んだことがないのですか。
6:
あなたがたに言いますが、ここに宮よりも大いなるものがあります。
7:
『わたしが喜びとするのは真実の愛。いけにえではない』とはどういう意味かを知っていたら、あなたがたは、咎のない者たちを不義に定めはしなかったでしょう。
8:
人の子は安息日の主です。」
メッセージ概要
私たちは日曜日に神様を礼拝します。その意味をみことばから学びましょう。
1.人を生かす安息日
安息日に弟子たちが麦の穂を摘んだことをパリサイ人は非難しましたが、イエス様はダビデの例や祭司の奉仕を挙げ、これに反論されました。本来、人間が安息日のためにあるのではなく、安息日が人間のために設けられたものだからです。神様が求められるのは形式的な犠牲ではなく「真実の愛」です。
律法の真髄は愛であり、何よりも命が優先されます。
安息日は、神様が私たちの空腹を満たし、病を癒やし、命を与えるために定められた慈しみの日なのです。
2.安息日の主
イエス様はご自身を「神殿よりも大いなる者」「安息日の主」であると宣言されました。
キリストがこの世に来られた目的は、重荷を負って苦しむすべての人を招き、真の休息を与えることにあります。
キリストの元へ行き、全てを委ねる時、主は重荷を肩代わりしてくださいます。
また、キリストの十字架には罪を赦す力があります。他者がどのように非難しようとも、神様が私たちを「咎なき者」として解放してくださるのです。
この罪の赦しによる心の平安こそが、安息の本質です。
キリストが復活された日曜日を礼拝の日とする私たちは、安息日の主であるキリストから安らぎと復活の力を受け取り、希望を持って明日へと歩み出すことができるのです。