2026年 4/19(日) 第三主日
主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】
ヨハネの福音書 20章24~29節 - 24:
十二弟子の一人で、デドモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。
25:
そこで、ほかの弟子たちは彼に「私たちは主を見た」と言った。しかし、トマスは彼らに「私は、その手に釘の跡を見て、釘の跡に指を入れ、その脇腹に手を入れてみなければ、決して信じません」と言った。
26:
八日後、弟子たちは再び家の中におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸には鍵がかけられていたが、イエスがやって来て、彼らの真ん中に立ち、「平安があなたがたにあるように」と言われた。
27:
それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。手を伸ばして、わたしの脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
28:
トマスはイエスに答えた。「私の主、私の神よ。」29:
イエスは彼に言われた。「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです。」
メッセージ概要
キリストの復活は、現代も20億人以上の信仰を支える大きな希望です。しかし、弟子の一人トマスは「見なければ信じない」と疑いました。彼は決して不信仰だったわけではありません。かつて「主と一緒に死のう」と覚悟を決めた彼だからこそ、復活という事実を曖昧にせず、真実を追い求めたのでしょう。その誠実な葛藤に応えるように、主は鍵をかけた部屋に現れ、「平安あれ」と語りかけられました。
聖書に記された多くの奇跡は、神が私たちの信仰を助けるために働かれた証しです。12年間病に苦しんだ女性が、癒やされる前に衣に触れたように、信仰とは目に見える結果を待つものではなく、神の働きを確信して踏み出す不思議な力です。
現代の私たちは、復活の主を肉眼で見ることはできません。しかし、助け主である聖霊の助けによって、疑いから信仰へと変えられていくことができます。
不安定な情勢や情報に揺れる現代社会において、変わらないものは神の愛だけです。たとえ私たちが疑いの中にいても、主は忍耐強く愛し続け、心の扉を叩いて下さいます。「信仰は望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるもの」です。状況に目を奪われて右往左往するのではなく、不変のキリストに目を注ぎましょう。
主は今も「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と語りかけておられます。
私たちもトマスのように「私の主、私の神よ」と告白し、心の中に主がおられ、主と共に歩む幸いの中に生かされていきましょう。