10/4「イエスのいのちが現れる」コリント人への手紙第二 4章7~10節

2026年 10/4(日) 第一主日
聖餐礼拝 

ー西本耕一牧師ー

 

 


 

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【聖書】
コリント人への手紙 第二 4章7~10節
7:
私たちは、この宝を土の器の中に入れています。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものではないことが明らかになるためです。

8:
私たちは四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方に暮れますが、行き詰まることはありません。

9:
迫害されますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。

10:
私たちは、いつもイエスの死を身に帯びています。それはまた、イエスのいのちが私たちの身に現れるためです。

 

メッセージ概要

 

 私たちは日々の生活で弱さや不完全さを痛感します。思い通りにいかず、心が傷つき、疲れ果てることもあります。

パウロはその私たちを「土の器」と呼びます。土の器は壊れやすい存在ですが、神は私たちに完璧さを求めず、弱さを知った上で受け入れておられます。


大切なのは器そのものではなく、その内にある「宝」、すなわちイエス・キリストと神の栄光です。弱くても、その宝が輝くとき、私たちの存在は光を放ちます。


パウロは「この力が神からのものであることが明らかになるため」と語ります。

ひび割れや挫折の中からこそ、キリストの栄光は輝きます。

殉教者ステパノは石打ちの最中でも顔が輝き、迫害者のために祈りました。

彼には天が開かれ、苦しみの中でも平安と天国の希望が満ちていたのです。

さらにパウロは、苦しみや困難を耐えるとき「イエスのいのちが現れる」と言います。


キリストの栄光を味わうには、自分の十字架を負う歩みが必要です。


競技者が栄光を目指すように、私たちのゴールは天国であり、復活の勝利が約束されています。


今の痛みや涙は無駄ではなく、弱い土の器が前を向き続ける姿こそ、キリストの栄光という宝を示す証しとなります。


自分の力で頑張るのではなく、内におられるキリストに信頼し、重荷を委ねるとき、ひび割れを通して、神の愛と栄光が現れます。