「御国を受け継ぐ」

2020年10/4 第一主日礼拝
ー西本耕一牧師ー 

 

 

音声メッセージ

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

                                           

【聖書】エペソ人への手紙 1章11~14節
:11
またキリストにあって、私たちは御国を受け継ぐ者となりました。すべてをみこころによる計画のままに行う方の目的にしたがい、あらかじめそのように定められていたのです。
:12
それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
:13
このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。
:14
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

 

メッセージ概要

エペソ人への手紙は神の奥義である教会のことが語られています。教会は一言で言うなら、天国の入り口、天国の予表と言えるかもしれません。教会に来れば天国が分かる、そういう教会でありたいと思います。

1,キリストの働き
私たちは主の祈りの中で、「御国を来たらせたまえ」と祈っていますが、神様は私たちを「御国を受け継ぐ者」としてくださいました。これは本当に不思議なことです。そして偉大な神の奥義です。マタイ 5 章の「山上の垂訓」 (2~10節)は神の御国の憲法です。教会はまさに神の奥義が現されている所であるといっても過言ではありません。なぜならいろんな人が集まり、様々な考えやそれぞれの生き方があるのですが、一つとなっています。それはキリストのなせる業です。 14 節には「私たちが贖われて神のものとされ」とありますが、キリストによって罪が赦された、神の子どもとされたと言うことです。ですから、イエス・キリストを信じて救われた私たちは平等です。等しく神の子として交わることができるのです。

2,神の目的
なぜ、キリストは私たちの罪を十字架によって赦すことをされたのでしょうか。 そこには目的があります。それは 12 節に出てきます。「神の栄光をほめたたえる」ためなのです。私たちは礼拝の中で賛美を献げます。なぜでしょうか。それは神を誉めたたえることです。
ただ歌うだけのものではなく、神様に感謝を献げ、賛美する。栄光を神様にお返しする。それが私たちの礼拝です。礼拝は受けるものではなく、献げるものです。
早天祈祷会の聖書日課でレビ記を学びました。献げ物の規定が事細かく出ています。羊や牛、穀物等で、おそらく私たちが献げている以上に旧約聖書の時代の人たちは献げていたと思われます。ですから、礼拝とは受 け身のものではありません。ただ聖書の話を聞いて終わってしまうのではなく、私たちは賛美をささげ、また神様へ感謝を真心を持って献げたいと思います。
その感謝の中に神の栄光があらわされ、神の栄光を崇める礼拝でありたいと思います。

3,聖霊の働き
このことは私たちの思いや力だけでできるでしょうか。私たちだけではできません。聖霊の力が必要です。私たちは弱い者です。この世にあって、試みに会い、意気阻喪 そそうしたり、くじけてしまうことがあります。しかしイエス様は私たちに保証を与えられました。それは御聖霊です。御聖霊が 私たちのうちにあって働かれ、私たちの信仰を全うしてくださるのです。「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です」 (14 節)とはそのことです。私たちが信じる以上に、御聖霊は働かれて私たちは確信することができ、信じ続けることができるのです。私たちは重要な約束をするときにハンコを押しますが、私たちは聖霊の証印を押されて、神のものである、キリストに贖われて神のものとなったことを確信できるのです。
ですから、どんなときにも、またどんなところでも、神のものとされた私たちは神様を誉めたたえ賛美できるのです。あの 1 世紀の クリスチャンたちも大変な迫害に会いましたが、御聖霊は彼らの心の中に働かれて、ローマのコロシアム 円形競技場 の中でも殉教者たちは神に賛美をささげ、神の栄光が満ちあふれ、それを見ていた人たちがキリストを救い主と受け入れていったのです。