「神の召しに従う」

2021年11/14
第二主日 礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

【聖書】 エペソ人への手紙 4章 1~6節
:1 さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。
:2 謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに耐え忍び、
:3 平和の絆で結ばれて、御霊による一致を熱心に保ちなさい。
:4 あなたがたが召された、その召しの望みが一つであったのと同じように、からだは一つ、御霊は一つです。
:5 主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つです。
:6 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父である神はただひとりです。

メッセージ概要

 エペソ人への手紙は教会について語られています。教会には色々 な人がいます。多種多様です。しかし、バラバラ ではなく一致が保たれています。その秘訣を改めてこのところから学びたいと思います。

1,キリストに召されている
 パウロは自分のことを「主にある囚人」といっています。彼は悪いことをして牢獄に入れられたのではありません。ただキリストを救い主であることを語り、牢獄に入れられました。自分の無実を証明して出ることもできましたが、そうはしませんでした。

彼の人生はキリストに会って変えられました。ですから彼はわざわざ「主にある」―キリストのうちにあってと言っているのです。

 キリストのうちにあって生きる、それが牢獄であろうと宮殿であろうと変わりはないのです。キリストの中にとどまり、キリストにあって生きることが彼の喜びであり、すべての人に 勧めていることなのです。「召された召しにふさわしく歩みなさい」と言っていますが、誰が召したのでしょう。キリストです。キリストが召して下さった。キリストにふさわしく歩む、歩むとは生活するということです。そのことが2~3節に出ています。

 第一のことは謙遜です。
身を低くし、へりくだることです。イエス様ほど謙遜な方はありませんでした。十字架の死に至るまでへりくだり、いのちを献げられた方は、他にはありません。

 第二に柔和です。
心が柔らかい、柔軟性があると言うことです。そして寛容を示す。
包容力がある。相手を包み込んで受け入れることです。そして互いに、耐え忍ぶ。
相手に対して忍耐することです。しかも愛をもって、十字架の愛です。敵をも赦す愛です。
そして平和の絆で結ばれる。私たちの心に平安が与えられ、教会は一つとなるのです。

2,聖霊による一致
 そして4~5節には「一つ」という言葉が繰り返し出ています。「からだは一つ、御霊は一つ、主はひとり、信仰は一つ、バプテスマは一つ」教会は、キリストのからだであり、種々の部分すなわち、色々な人によって構成されていますが、キリストにあって一致するのです。

 私たちの体すなわち、手や足などの体の器官は、形も働きも違います。しかしばらばらにはなっていません。手が意思に反して動いたり、足を動かそうと思っても動かない。それは病気です。健康な体は調和がとれてスムーズに動きます。手と足がバランスよく動くことによって歩くこと、すなわち前進することができるのです。

 ですから教会も、様々な人がうまく組み合わされ、バランスよく動くためにも一致することが大事であり、神さまは私たちを一つとなるために召されたのです。
イエス様の弟子たちに対する祈りは、ヨハネ17章 21~22節を見るなら 「すべての人を一つにしてください」とのことです。私たちのためにも、キリストは今も祈っておられるのです。

 今日私たちは一致しているでしょうか。それができるのは私たちの努力ではありません。
3節に「御霊による」とあります。御聖霊です。聖霊が働かれるとき私たちは一つになります。そのことを私たちは目指さなければなりません。

 パウロはエペソの教会が一つとなることを願っていました。今日も同じであると思います。私たちの目指すところのものです。

 「主はひとり」、私たちの罪を赦して下さったのは十字架に架って身代わりとなって下さったキリストだけです。そしてそのひとり子 を与えて下さったのは父である神、お一人です。
私たちは神によって愛されています。そしてキリストが歩まれたように、生きられたように、私たちが地上で生きることを願っておられるのです。

 私たちは父なる神様の愛に応えて、聖霊なる神様が助け導いて下さっておられることを信じて、キリストの愛に生きるものとさせていただきましょう。

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