2021年12/5 第一主日
第二待降節 主日礼拝
ー西本耕一牧師ー
- 【聖書】 エレミヤ書 29章 11~13節
- :11 わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている── 主 のことば──。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。
:12 あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。
:13 あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。
メッセージ概要
今はアドベント(待降節)と呼ばれるときです。キリストの誕生を祝うクリスマスが近づいています。
私たちは聖書を読みます。なぜ聖書を読むのでしょうか。それは神様が私たちに与えて下さった「救い」を教えてくれる本だからです。
聖書は別の言葉で言うなら、神様から与えられた「救いの計画書」といえるかもしれません。自分が死から、永遠の滅びから救われたいと思うなら聖書を読むことです。
1,救いの計画
この書は預言者エレミヤによって書かれたと言われています。彼は旧約聖書の時代の人でした。ダビデとソロモンによって建てられたイスラエル王国は2つに分裂しました。
一つの原因は、偶像礼拝でした。偶像とは人間の手によって創られた者です。それは人間以上のものではありません。何の力もないのです。
この間、震度5の地震がありましたが、偶像が倒れ折れている様子が映し出されていました。偶像には私たちを助けることも救う力もありません。
残念ながら、イスラエルも偶像礼拝に陥ってしまい、神様の恵みから逸(そ)れてしまったのです。その結果、人間は高慢となり自分の利益を求め、お互いに反目するようになったのです。今日も、そのような人間の性質は変わらないと思います。
ですから神様はエレミヤを通して、神様に立ち返るように、そして信じて神様の愛と恵み、祝福の中に生きるように語られたのです。
この文章は、とくに「バビロン捕囚」となったユダヤ人に対して語られています。
先に北イスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ、南ユダ王国はその姿を見て、悔い改めるべきであったのですが、同じように偶像礼拝に陥り滅んでしまったのです。
しかし神様の計画は滅ぼす事ではありませんでした。むしろ、その困難の中から救い出して下さる約束を与えておられるのです。早天祈祷会で「エズラ記」を学んでいますが、まさに、神様は回復を与え、私たちをも豊かに祝福して下さいます。
それは11節によく現されています。
神様の計画は災いを与えるものではありません。「バチが当たる」という言葉を聞きますが、真の神様はバチを与えるのではなく、祝福を与えられる神様です。「平安」を与えるとありますが、原語ではシャロームです。神の恵みがあるようにと言うことですが、シャロームとは第一に平安です。心に平安が与えられる、平和であることです。そして繁栄という意味があります。経済的にも豊かになる。また、健康―元気になるという意味もあります。神様は私たちに祝福を与えて下さいます。
2,神を求める
今私たちにできることがあります。祈ることです。神を求めることです。
エレミヤの時代の人たちはそれをしなかったのです。自分は大丈夫だ。イスラエルは滅びることはないと高をくくっていたのです。しかし残念ながら滅ぼされてしまいました。
そしてバビロンで捕囚となったのです。しかし神様はアブラハムやダビデに約束されたように回復を与えられるのです。それが歴史において実現しました。ペルシャ帝国のキュロス王によるユダヤ人の解放エルサレムの再興でした。
神様は私たちにも祝福を与えられます。今が神を求めるときです。祈るときです。
私も神様を求めました。それはマタイ7章7節「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。 」との御言葉が与えられ、救われたのです。
神は言われます。「恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。」見よ、今は恵みの時、今は救いの日です。(Ⅱコリント6:2)
私たちはいつ何時、災いに遭うかわかりません。その前に、神様の救いに預かり、私たちの心に神の平安と希望、そして将来を与えていただきましょう。