「救い主の誕生」

2020年12/20 クリスマス礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】マタイの福音書 第1章18~21節
:18
イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
:19
夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
:20
彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。
:21
マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」

 

メッセージ概要

 皆様クリスマスおめでとうございます。今、コロナ禍にありますが、それでもクリスマスをお祝いできることは感謝なことです。イエス・キリストはまさに、困難な中にある私たちのためにお生まれになってくださったのです。これはひとえに神様が私たちを愛しておられることの大きな証拠です。世界の国々でまた時代を超えてクリスマスはお祝いされています。

1,ヨセフの悩み

 今日読んだ聖書の箇所にキリストの誕生が記されているのですが、その前には長い系図が出てきます。これはユダヤ人の王の系図です。信仰の始祖アブラハムから始まってダビデ王そしてキリストとつながっているのです。そのことは旧約聖書で預言されていました。神様の約束であったのです。そしてその子孫がここに登場してくるヨセフです。彼はダビデ王の子孫でした。しかし現実にはナザレの村の貧しい大工でした。王の子孫ではありましたが名もない小さな存在でした。
 彼はマリアと婚約していました。それは彼にとって大きな喜び希望であったと思い ます。マリアと家庭を持って幸せに暮らしたい、それが彼の望み願いであったと思います。
 しかし彼のそのささやかな望みがいっぺんに打ち砕かれたのです。それは「マリアが身ごもった」と言うことです。まだ結婚をしていないのに身ごもるとは、赦されないことであったことですし、当時のユダヤでは姦淫の罪が疑われました。普通であるなら、ヨセフは自分の子ではないことを証明し訴えて、石打の刑に処することもできました。しかし彼はそうしなかったのです。 なぜなら彼は 19 節に「マリアをさらし者にしたくなかった」とあり「ひそかに離縁しよう と思った」とあります。それは真にマリアを愛していた。マリアに危害が及び危険にさらしたくない 、ヨセフの愛情が現れています。

 しかしそれは真の解決ではありませんでした。 20 節をみると「このことを思い巡らしていた」とあります。離縁すると決心したものの 、 あれこれ考え悩んだであろう、よく眠れなかったかと思います。その時彼は夢を見て 、天使が現れたのです。そして彼に「恐れずにマリアを迎えなさい」と励ましを与えました。それが神様の助け、そして救いであったのです。そして彼は決心して、心を翻して、「離縁する」としていたのを取 り下げて、マリアを妻に迎え入れたのです。
 もしこのことがなければ、イエス・キリストの誕生はあったでしょうか。 19 節に「正しい人」とありますが 、神に対して神から見て正しい人 であり 、神の御心は何かと求め、 神に従う人のことです。信仰の恵み、そして導きはそのような人に与えられます。このとき神様は 御使いを送って ご自身の 御心を示されます。ヨセフは忠実な人でした。そして 神様の 導き に従い、自分の進路を変えて、マリアを迎えたのです。このことは私たちの救いにつながっているのです。

2,諸々の罪からの救い

 キリスト教の救いは 「罪」からの救いです。罪とはなにか、神を信じない、神を認めない、それが根本的な罪です。そのことにより、人間はときに傲慢になったり逆に悲観したり、人を責めたり、自分を悲しんだり、情けなく思ったりするのです。そこに神がおられないからです。ギリシャ語の罪 ハマルティア には的外れという意味があります。神を認めない人生は的外れなのです。
 人間は神によって創られ愛される存在として生きているのです。もし私たちが本当に幸せに生きたいと思うなら、私を創ってくださった方は私を愛しておられる、それを強く信じることです。愛は恐れを取り除きます。そして神の愛は私たちの心を満たし、神様は私たちの心から空しい思いを取り除いてくださるのです。

 そのためにキリストは人となって私たちのところに来てくださいました。私は一人ではない、神さまが共におられる、この方が全ての悩み苦しみから私を解放してくださる。 このことが信じられるようになるのです。
 あのヨセフも婚約中のときに 悩みました。苦しみました。しかし御使いにより「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」と約束され、彼も恐れから解放され喜んでマリアを迎えることができたのです。その後も 、ベツレヘムでの家畜小屋での出産や、ヘロデ王の虐殺とエジプトへの避難等、幾多の苦難がありましたが、それらを乗り越え喜びが与えられ たのです。そしてイエス・キリストを信じる 私たちも 、ヨセフと同じように苦しみから解放され、正しい道に歩み、神様からの恵みと祝福に与る者となるのです。

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