「新しい出発」

2021年1/10 第二主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

音声メッセージです。

 

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【聖書】コリント人への手紙第二 5章14∼17節
:14
というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。
:15
キリストはすべての人のために死なれました。それは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためです。
:16
ですから、私たちは今後、肉にしたがって人を知ろうとはしません。かつては肉にしたがってキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
:17
ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

 

メッセージ概要

 年が改まりましたが、私たちも自分が新しくなればと願う者です。このところでパウロは私たちが新しくなることを語っています。

1,古い生き方
 コリントは港町であり貿易で栄えていました。おそらく教会の人たちも比較的裕福であったと思われます。それだけに、この世の繋がりやしがらみもあったでしょう。得てして、それが教会にも入ってきて様々な問題が起こりました。人の思いが神様の御心にまさり、ばらばらになりかけたのです。しかしパウロは手紙を送り、キリストにあって一つとなることを勧め、教会はキリストを頭とし、まとまりました。

 そしてこのところで、キリストにあって新しくされる、新しい生き方を勧めています。 17 節に「古いものは過ぎ去って」とありますが、この古いものは何でしょうか。時間的に古くなったものの意味もありますが、16 節には「肉にしたがって」という言葉が出てきます。肉体、からだのことですが肉的な考え方、 15 節にある「自分のために」という思いになります。

 簡単に言えば自己中心的な生き方です。自分が良ければそれでいい、他人のことなど考えていられないと言う生き方です。それが 16 節の「肉」という言葉で表され、 17 節には「古いもの」 と出ているのです。それらのものが取り除かれ、一新される、質的にもまったく新しいものにされることです。

 ですから、生き方が変わります。古い習慣や習わしにとらわれない。そのような中から自分が神様に取り上げられて、心が高く引き上げられ、この世のものにとらわれない、まったく別の価値観-神の国に生きることができるのです。
 それはパウロ自身が体験したことです。彼はこちこちの律法学者であり、まじめなパリサイ人でした。生きているお手本のような生活をしていたのです。しかし、自由はありませんでした。生きていることの満足も喜びもなかったのです。外側は立派でしたが、内側はまったく空しい生き方をしていたのです。

2,キリストの愛に生きる

 その彼は、キリストにであって変えられました。空しい生き方から喜びの人生を生きる生き方に変えられたのです。その秘訣は何であったのか。「キリストのうちにある」という生き方です。キリストの愛に囲まれる、キリストの愛に満たされて生きるという生き方です。彼はそれを悪を行っている、迫害している最中に与えられました。キリストと出会うことにより、そしてキリストが何で十字架に死んで、復活されたのか、それが分かったのです。 それは信仰の世界です。私たちはパウロのような体験をしなくても、同じように心が満たされ、喜びが溢れる生き方ができるのです。それは信じることです。「だれでもキリストのうちにあるなら」それだけが唯一の条件で、後はただ信じてゆだねることです。

私たちは今、建物の中にいます。安全だと信じています。それと同じことです。大丈夫だ、守られている、死ぬことはない。いや、たとえ死んでも天国に入らせていただける。それを信じるだけのことです。その信仰により、キリストの愛の中におらせていただける。パウロは 14 節で「キリストの 愛が…捕らえている」と言いました。古い訳では「キリストの愛迫れり」です。彼の心に十字架のイエス様が迫ってきたでしょう。そして十字架の愛で罪赦された。彼の心は感謝で一杯になったと思います。ですから彼の生き方は、「もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きる」者に変えられたのです。

 ですから彼の心の中には復活のキリスト栄光のキリストがいつも生きておられる、そしてイエス様は私のために死んでくださった、その喜びがいつも新しく新鮮にわき上がって来たのです。私たちもそのように生きることができるのです。キリストを信じて、新しくさせていただきましょう。

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