「愛によって働く信仰」

2021年2/7 第一主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 

音声メッセージです。

 

メッセージ動画はこちらからご覧いただけます。

 

【聖書】ガラテヤ人への手紙 第5章4~6節
:4
律法によって義と認められようとしているなら、あなたがたはキリストから離れ、恵みから落ちてしまったのです。
:5
私たちは、義とされる望みの実現を、信仰により、御霊によって待ち望んでいるのですから。
:6
キリスト・イエスにあって大事なのは、割礼を受ける受けないではなく、愛によって働く信仰なのです。

 

メッセージ概要

 私たちは、たとえそれが非常に良いこと正しいことであったとしても、もし強制されて行わせられたら嬉しくはないだろうと思います。
 信仰の世界も同じであると思います。強制的にさせられたら、それは人を縛るもの不自由にしてしま
うものとなります。何が本当の自由であり喜びであるのか考えなければなりません。

1,律法による義
 6節に「割礼」という言葉が出てきます。これはアブラハムの時代に神に属するものとして受ける印でした。割礼を受けることによって、神様に属している正しい者であるとの認識がありました。もちろん今日、クリスチャンは割礼を受けることはありません。むしろ信仰によって義と認められることを第一としています。しかしパウロの時代、ユダヤ人からクリスチャンになって、「アブラハムも割礼を受けた。だから救われた者は割礼を受けなければならない」と言う人が出てきたのです。確かに旧約聖書ではそのことが出ているのですが、私たちの救いは行いに よって救われるのではなく、信じる信仰によって救われるのです。

 なぜなら私たちは完全に正しいことを行うことができません。私たちが救われるのは唯一、キリストの十字架によって罪が赦される、それ以外には救いはないのです。

 宗教改革を行ったマルチン・ルターは、ガラテヤ書から強い影響を受けたと言われています。「キリスト者の自由」という本がありますが、5章1節に「キリストは、自由を得させるために私たちを解放して下さった」とあります。奴隷のくびきとありますが、律法のがんじがらめの生き方から、律法から解放されて自由に生きる、キリストは私たちに生きる力を与えて下さる方です。文字で書かれた律法は、私たちを真に生かすものではありません。

2,義とされる希望
 それでは律法は無駄なものなのか、と言うとそうではありません。「律法は私たちを導く養育係となりました」 ガラテヤ (3:24) とパウロは言っています。必要なものです。私たちも十戒がなければ、神を愛することも人を愛することも分からなかったのではないかと思います。

 信仰によって義とされる、それでは何を信じるのか。キリストの十字架を信じるのです。キリストの十字架によって、自分の罪は赦された。それはガラテヤ1章4節に「私たちを救い出すために、私たちの罪のためにご自分を与えてくださいました。」とありますが、十字架のことです。十字架による以外に罪のゆるしはありません。

 宗教改革を行ったルターも、修道僧であり難行苦行を行いましたが、得た結論は「義人は信仰によって生きる」と言うことでした。ですから彼は当時の免罪符販売には真っ向から対決し、たといヴォルムスの国会の屋根瓦が全部悪魔でも自分は戦うと決心し、裁判の中でも「我今ここに立つ。神よ、助けたまえ。アーメン」と叫んだのです。そして彼は助けられて 改革を文字通り命がけで行いました。それはまさにパウロが「義とされる望みの実現を、信仰により、御霊によって待ち望んでいる」という心境と同じであったのではないかと思います。

 また、私たちもやがて全能の神の前に立つ日が来るのですが、キリストの十字架の血潮によって罪赦され義とされたその喜びが、実現されてくることを待ち望む者でありたいと思います。

3,愛によって働く信仰
 パウロは、割礼のあるなしは問題ではない。大切なのは「愛によって働く信仰」であると言っています。愛によって働く信仰とはなにか。一言で言うなら、キリストの愛に包まれて自分は生きていると信じることです。魚は水なしに生きられません。金魚は金魚鉢から出たら数分のうちに死ぬでしょう。

 クリスチャンもキリストの愛から離れて生きていけるのでしょうか。この世では可能です。しかし神の前に立ったとき、イエス様から私は離れないで生きてきました、と証しできるでしょうか。私たちが証しできるのは、ただイエス様を信じて従ってそして、キリストの愛の中に生きていたかどうかだけです。私たちには誇りうるものは、何一つないと思います。しかしキリストの愛の中に、自分は生かされて生きてきた。 キリストの愛が原動力であり、それを信じて生きてきた。それだけで十分なことであり、イエス様は裁きの座にあって、「わたしはこの者を知っている。これはわたしを信じて従ってきた者である」と弁護して下さるでしょう。

 私たちもただキリストの愛によって生かされて、罪赦された感謝を持って生き、やがて御前に立つ者でありたいと思います。

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