「神の愛に生きる」

2021年5/30 第五主日礼拝
ー西本耕一牧師ー

 


音声メッセージです。

 

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【聖書】ヨハネの手紙第一 第4章16~19節
:16
私たちは自分たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。
:17
こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。
:18
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。
:19
私たちは愛しています。神がまず私たち を愛してくださったからです。

 

メッセージ概要

 この手紙を書いたのは、イエス様の弟子であったヨハネです。彼はガリラヤ湖の網元の息子でした。でもイエス様に従って行きました。
 彼はボアネルゲ(雷の子)と言われたほど気の短い、怒りっぽい人でした。しかしイエス・キリストを通して、神様の愛を体験したのです。ですから 16節に「自分たちに対する神の愛を知り、信じています」と断言しているのです。弟子たちはイエス様を見捨てて逃げていきましたが、復活された夜、イエス様は 弟子たちに現れ「平安があるように」と言われました。そしてまったく彼らを責められなかったのです。それがイエス様の愛です。そのイエス様の愛に励まされて、弟子のヨハネは最後まで残り、この手紙をクリスチャンたちに送り励ましたのです。

 ヨハネが迫害の困難な中にあって、人を励ます原動力はどこにあったのでしょうか。それは、 神様自身が愛そのものであり、神様が私たちの内にとどまって下さる、とヨハネは証しします(16 節)。神様は愛そのものです。愛の原動力です。私たちに必要なことは、「神の愛のうちにとどまる」ことです。つまり、神の愛を信じる、ただそれだけです。

 イエス様の弟子の中で最初に殉教したのは、ヨハネの兄弟ヤコブでした。彼は剣で殺されました。そして他の弟子たちも殉教して行ったのです。最後に残ったのはヨハネでした。人間的には心細い思いがあったかもしれません。また様々な迫害を受け、釜ゆでにされたり、絶海の孤島パトモス島に流され 、苦しみを受けましたが、彼はひるみませんでした。それは18 節に「愛に は恐れがありません」と 、はっきり証ししています。キリストの愛には恐れがない。十字架にかかり、人の罪をも赦す愛をヨハネは間近で見ました。そして母マリヤを託され、エペソに移り住んだと言われています。

 「全き愛は恐れを締め出します」とあるように、まず私たちも神様の愛を信じる、つまりはイエス・キリストを心に受け入れることです。神さまが心の中にとどまられることです (16 節)。
 そうするなら、恐れは心から締め出され、神の愛に私たちの心が満たされます。逆に、恐れる者は愛において全きものとなっていない、神様にすべてをお任せし ていないから恐れてしまうのです。
 恐れを取り除くためには、イエス様を自分の救い主として、自分の心にお招きすることです。

 イエス様は「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、その人の所に入って食事をともにする」(黙示録 3:20) と約束されています。
 そのことを行った代表的な人はルカ 19 章に出てくるザアカイです。彼は収税人でした。強欲で、悪賢い、嫌われ者でした。しかしイエス様を家に招き入れたとき、彼の人生は変わりました。イエス様に愛され、心が満たされ、もうお金に執着し なくなり、愛に満ちて自由になったのです。ですから彼は 、不正に取り立てた者を 4 倍にして返し、自分の財産の半分は貧しい人たちに分かち与えたのです。それほど彼の人生は変えられ、 愛に満たされたのです。

 私たちは 頑張って 神を愛する必要はありません。神様がまず私たちを愛し、私たちを満たして下さるのです。その愛をもって私たちも互いに愛し合う者となることができるのです。

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